独立・起業時に大きな壁として立ちはだかる「会計」。貸方、借方、といった概念は勉強しなければわからず、日々の電車代や喫茶店代も記録しなければならず、決算書や確定申告書をつくっても利益には結びつかない。そんななか「中小企業のインフラになった」とまで評価される会計ソフトがある。『freee(フリー)』だ。
鍵は「連携」と「AI」だった
ホテルにチェックインする時、受付の人に住所や名前を書く紙を渡され「あー、面倒だな」と思ったら、既に書くべき欄が印刷されていて「やるじゃん」と思ったことはないだろうか。飛行機やレストランの予約をとった後、なぜか予定がGoogleカレンダーに自動で書きこまれ「おおっ!」と思ったことはないだろうか。
この便利な瞬間を創り出す鍵は「連携」と「AI」だ。
ホテルにチェックインする時、予約サイトのシステムと、各ホテルの顧客管理システムが連携していれば、あの面倒な紙を書かなくて済む。GoogleカレンダーとGoogleのメーラーであるGmailも連携している。だから、Gmailが飛行機やレストランの予約確認メールっぽいメールを受け取ると、すぐAIが「お、ご主人様はこの日にANAの何便に乗るんだな」と自動でGoogleカレンダーに反映してくれるのだ。そして、AIは世界中の様々な航空会社が送ってくるメールを学習しているから、結果はだいたいあっている。
今回紹介するクラウド会計ソフト『freee』が異常に便利な理由も同様だ。
クラウド会計ソフト『freee』
自動化できる仕事は全部機械に任せよう!
まずは「連携」。例えば今までは経費を使うたび、人間がいちいち「喫茶店代1,200円」などと帳簿に転記していた。しかし『freee』は3600超のクレジットカード会社や金融機関と連携しており、仮に喫茶店代をクレジットカードで払ったなら、カード会社の記録が自動で帳簿に記録される。中小企業やスモールオフィスで会計に苦労したことがある社長や経営幹部なら、これがどれだけ便利か理解してもらえるはずだ。
プロダクトマーケティングマネージャーの内門佑介さんが話す。
「我々は"マスターデータを1つにしよう"と考えています。最初のデータは1つでいいんです。会社への入金も同様です。請求書を発行すれば、次に銀行への入金があるはずですよね。今まではこれを、人間が銀行の預金通帳や電子通帳を見ながら、毎月"これは入金済み、これは未入金"と突き合わせていました。しかし『freee』は金融機関のオンラインシステムと連携しているのでこれを自動で行います」
しかもAIの利便性が加わる。領収書やレシートをスマホで撮影すれば、AIがテキストを解析して「接待交際費」「旅費交通費」など、自動で正しい科目にわけてくれるのだ。税はざっくり収入-経費で求められるから、経費はトータルでいくらかわかればよいはずなのだが、個人の確定申告も法人の決算も「接待交際費」「旅費交通費」などと経費を仕訳する必要がある。これは税務署の人が「会社の規模の割に接待交通費が多すぎる」などと突っ込むために必要だから存在意義はわかるが、コンビニでボールペンと接客用のお茶を買い「これは事務用品費でこっちは接待交際費」などといちいち分けさせられるのはたまったものではなかった。しかし『freee』なら全自動。
「アプリをリリースしてからも数限りない改良を加えてきました。例えば交通系ICカードと連携していて、交通費の会計処理も自動化できます。仮に、電車で部分的に定期券が有効な区間を移動したとしましょう。その場合も経費は自動的に計算されます」(内門さん)
感動的に便利なのだ。実際『freee』は"スモールビジネスを、世界の主役に。"というミッションを掲げており、2013年、アプリのリリース直後にこれを支持したのはデザイナーや、様々なジャンルのクリエイターたちだったという。ここ、ちょっとわかる気がする。優れた感性を持つ人の中には、細かいお金の計算が苦手な人が多いのだろう。
「するとその後、ユーザーがTwitterなどで紹介してくださり、一気に広まっていったんです。そもそも経費精算や税金の計算自体は利益を生みません。お金の計算が苦手ではない方にとっては"負担"だったんです」
ようするに『freee』はお金の計算が苦手な人の敵である"経費精算の仕事"を、連携とAIの力でなくし、大ヒットしたのだ。
今後は、例えば名刺を撮影するとAIが社名や人名を読みこんでリスト化してくれる「eight」、todoを記入するとGoogleカレンダーと連携してくれる「Todoist」など、「便利!」な瞬間を創り出した企業――カッコよく言えば、今までにないユーザーエクスペリエンスを創出した企業が市場を一変させていくのだろう。
しかも『freee』には、さらに大きな変革をもたらす可能性がある。
不便が当たり前になりすぎている世の中を変えていく
『freee』の導入事業所数は、2018年4月現在、100万を超えている。日本国内にある事業所は約600万だから既に6社に1社が『freee』を使っている計算だ。だから、今までにないインフラを築ける可能性がある。
「現在、当社は経理に加え、人事労務、勤怠管理、マイナンバー管理のアプリもリリースしていますが、まだバックオフィスの業務に留まっています。そこで今後は、売り上げを創り出していくフロント業務も革新していきたいんです。例えば『freee』のお客様同士をつなぐことで、仕事の発注先を見つける、といったことも将来的には可能ですよね」(内門さん)
これだけ多くの事業者が『freee』を利用しているのだ。実現する可能性は大いにあるだろう。
しかし、筆者はさらに大きな期待を抱く。日本はITを使った効率化に関しては決して先進国と言えない。『freee』はこんな世の中を変えるきっかけになるはずなのだ。
ユーザーは、既に気付き始めている。そして、例えば『Amazon』や『freee』や『Google』で今までにないユーザーエクスペリエンスに感動すると「逆になんでほかの企業はこういう訳にいかないの?」と疑問を持ち始めるのだ。例えば銀行の法人向けネット口座は、夜中になると「営業時間外です」と預金残高さえ見せてくれない。キミ機械ちゃうの!? 寝てんの? と突っ込みたくなる。自治体だって「10万円を支給しますよ」という紙と「自動車税を納めてね」という紙を両方送ってくるって何だろう。時代劇で、殿からお慈悲の米が届いて、それがすぐ年貢で持って行かれるシーンがあったら、やりとりの意味のなさに笑ってしまうだろう。「面倒だから相殺してよ」と思うが、これは令和の現実だ。一方で、飲料やトイレットペーパーやお米など、かさばるものをAmazonが毎月定期的に持ってきてくれると「あー便利」と思う。
改革できることはいっぱいあるのだ。逆に言えば、今後も『freee』のようなヒットが生まれる余地は充分にある、ということだ。
最後に同社の佐々木大輔社長の起業時の話を紹介したい。
「創業前、我々のプロダクト思想は会計士の方や企業の経営者からまったく評価されませんでした。まず、会計をクラウドで行うことに対し抵抗感があったようです。また"マスターを1つに"と話しても、多くの方に『そんなことは望んでない、それより今のソフトのここをちょっと変えたものがほしい』と言われました」
佐々木社長は、相談した人から「会計ソフトで起業はできないよ」とまで言われてしまう。理由は「ここ30年変わってないんだから」だった。ところが、蓋を開けてみればこの結果。
皆、不便が当たり前になりすぎて気付いていないだけなのだ。ぜひ、様々な企業に「連携」や「AI」やクラウド化で、様々な非合理を解消してほしいと切に願う。
●夏目幸明の「ヒット商品ぶらり旅」
第1回:ロート製薬/『DEOCO』を生んだ"苦節5年"
第2回:ツインバード工業/「世界一」を求めた"熱狂マーケティング
第3回:ライザップ/牛サラダとスイーツでダイエットを支援?
第4回:桃屋/味へのこだわり『桃屋のいつもいきいき』
第5回:相模屋食料/『ザクとうふ』社長の今』
第6回:ワークマン/快進撃のきっかけは『お試し』と『SNS』!
第7回:PayPay/ソフトバンクグループの"還元秘話"!
第8回:J:COM/活路は"検索"にあった!|夏目幸明の「ヒット商品ぶらり旅」(第8回)
第9回:アースガーデン/アースの地味すぎる"商品改良術"に学ぶ
<番外編>:新型コロナの中、新たなファンを獲得した"神対応"企業に学ぶ
取材・文
夏目幸明(なつめ ゆきあき)
経済ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、広告代理店勤務を経て現職。「技術、マーケティング、マネジメントが見えれば企業が見える」を掲げ、ヒット商品の開発者、起業家、大手企業の社長などを精力的に取材。『週刊現代』の「社長の風景」は長期にわたる人気連載、著書も多数。