2020.03.10

PayPay/ソフトバンクグループの"還元秘話"!|夏目幸明の「ヒット商品ぶらり旅」(第7回)

消費増税前後から急に盛り上がり始めた「スマホ決済サービス」。なかでも「PayPay」は"100億円あげちゃうキャンペーン"といった派手なキャンペーンで、インフラの座を勝ち得た感がある。背後では何があり、彼らは今後、何を見据えるのか。

ソフトバンクグループはアリペイに注目していた

古来、歴史上の人物や覇権国家は「社会を一変させてしまう」技術を持っている場合が多かった。例えば織田信長は鉄砲と出会い、旧来の戦い方であれば無敵だった武田騎馬軍団を破った。

欧州諸国が世界中を植民地にできたのは、単純に、鉄砲、大砲などの強力な武器を持っていたから。マニアックなところでは、ルターの宗教改革は「紙」と「印刷」によって成し遂げられた。各地で起きる聖職者の不正や非道は、ルター以前、噂にとどまっていた。しかし、ルターは「95ヶ条の意見書」を紙に印刷して民衆へ訴えた。これにより読んだ人が「やっぱり! うち村の神父もおかしいと思ってた!」と同志になっていったのだ。「IT革命」がInfomation Tecnology=情報伝達技術の革命だとするなら、文字と数字の発明が最初のIT革命で、紙と印刷が第二のIT革命、ネットは第三のIT革命と言っていい。

ようするに、改革者が世界地図を塗り変えるのでなく、新たな技術が改革者を育てる、という一面もあるのだ。そして、孫正義氏はそれをよく理解しているのだろう。PayPay株式会社のマーケティング本部長・藤井博文さんが『PayPay』の誕生秘話について話す。

PayPay株式会社のマーケティング本部長・藤井博文さん

「私は今回の『PayPay』のキャンペーンと『Yahoo! JAPAN』や『iPhone』は、本質的に同じビジネスだと感じます。ソフトバンクグループは、米国など海外で成功し始めた新しいものをいち早く見つけ、独占契約を結んで、そこにお金と人と技術を一気に投入して普及させる方法を取ることがあるんです」

検索エンジンにスマートフォン。孫さんの"見る目"はさすがだ。一方、今回は米国ではなかった。
「『PayPay』の事業を始めたきっかけは、ソフトバンクグループがアリババに出資した『アリペイ』が中国で一気に普及していくさまを見ていたことでした」 

左がアリペイのロゴ、右がアリペイと競うウィーチャットペイのロゴ。
筆者は長くアリペイのロゴを「しつけほう」と読んでいた。
中国では"ジーフーバォ"と発音するらしい──読者の皆さんも、いつ頃からか、レジで『支付宝』という
文字を見ることが多くなったと感じませんか? 

日本では14年末にLINEが、18年にDOCOMOがスマホ決済サービスを開始。Origami PayのOrigami(=現在はスマホ決済サービスのメルペイの子会社)がユニコーン企業として注目された頃、実はソフトバンクグループもこの市場に参入していた。しかし、いまいち普及しなかった。大多数がクレジットカードを持ち、特に都市部で『Suica』や『ICOCA』などの非接触型ICカードが普及していたためだ。このあたりが新興国と古豪の関係を象徴している。例えば高速道路のETCは、日本より東南アジア諸国の方が先に導入していた。インフラが整っていなかったからこそ、いざ成長が始まったときに最新のインフラを導入できるのだ。

そんななか、アリペイの勢いはとどまることなく、ただの決済手段ではなくなり、勢力はアジア圏全域に及ぼうとしていた。今やフィリピンから中国への出稼ぎ労働者は、アリペイで母国に送金するのが常識。銀行と違って行列に並ぶこともなく、手数料不要、瞬時に決済可能なのだから当然だ。

そのなかでソフトバンクグループは動いた。藤井さんが話す。
「これらの状況を受け、2018年の春先"今が市場参入のラストタイミング"と考え、『スマホ決済サービス事業を再開しよう』と考えました。そして、人と資金を手厚く配分して、一気に立ち上げようということになったのです」

『PayPay』が流行った理由は「グループ全体の気合い」

事業には「正のスパイラル」と「負のスパイラル」がある。

負のスパイラルの例は、鉄道のローカル線だ。利用者が減ると、列車の本数が2時間に1本、半日に1本......と減って不便になる。するともっと利用者が減って、もっと不便になる。正のスパイラルの例は、ユニクロの服やJINSのメガネ。大量につくると「スケールメリット」が出せる。仮にTシャツを10着だけつくったなら、1着あたりの値段は高くつく。しかし100万着生産すれば、1着あたりは安くなる。すると「大量につくって安く売る→人気になる→もっと大量に安くつくれる」という正のスパイラルを描く。

では、どうすれば事業を「正のスパイラル」にのせられるのか。『PayPay』も上の例と同様に、大量のリソース──人・モノ・金を注ぎ込んだ。
「我々は、様々なキャンペーンを2019年の消費増税から逆算して始めました」(藤井さん)

政府はキャッシュレス決済を普及させるため、消費増税に合わせ、クレジットカードやスマホ決済で支払うとキャッシュバックを受けられる『消費税還元事業』を行おうとしていた。
「そして、このタイミングで"キャッシュレスなら『PayPay』"という代名詞的な地位を獲得しようと考えたんです」(藤井さん)

ソフトバンクグループは、例えば同社携帯電話ユーザーへの「長期継続特典」を期間固定TポイントからPayPayボーナスに変更するなど、全社を挙げて『PayPay』の普及に向けての準備を整えていった。ここで成功の鍵を握ったのは何かを聞くと、藤井さんはこう返してきた。
「覚悟です。トップの中山に覚悟があり、グループ全体にも覚悟がありました。新しい技術が生まれた、国策で何かが変わったなど、変化が生まれる場面があります。その分野がどこかをあらかじめ見定めておき、変化が生じるタイミングで一気に投資をするんです」

この件について、藤井さんは「モバイルバッテリーのレンタル事業」を例に出した。中国では既に街なかでモバイルバッテリーを借りて充電するのが当たり前になっている。技術的にはどの企業でも参入できる。ただし "バッテリーが切れそうなら、街のどこかでモバイルバッテリーを借りて充電すればいい"という感覚を常識にするためには、一気に資金を投入しなければならない。
「追い風が吹く分野はたくさんあるんです。例えば4Gが普及すれば動画やクラウドやシェアリングサービスが誕生します。ただし腹をくくって、競合に負けない莫大な金額を投資しなければなりません。そして、当社はそれができたんです」

余談だが、筆者はよく経営者の取材をする。そこで聞くのは――やはり創業社長は特別で「自分の会社」という感覚があるから思い切った投資ができる、ということ。さて、ここで「投資」と言うと『100億円あげちゃうキャンペーン』を思い出す方が多いに違いない。しかし実はこれ、巨大な計画の一部にすぎなかった。まず、ユーザーを勧誘しても、使えるお店が少なければ意味はない。そこで......。
「当社には数千名を超える営業がいて、全国津々浦々、様々なお店で『PayPay』を使えるようにしています。その結果、第三者の調査で圧倒的な数字が出ています。新宿駅付近のお店でどのスマホ決済サービスが使えるか調べると、『PayPay』が他のサービスを圧倒しているのです」

『100億円あげちゃうキャンペーン』の知名度は高いが、こちらも莫大な資金が必要だ。仮に2000人(くらいと思われる)が年収500万円で動いているとすると、こちらにも年間100億円かかる計算になる。

次に、お店側の導入費用が無料。運用費用も2021年9月までは無料と約束している。ようするに、システムをつくっても、ユーザーがどれだけ便利に使っても、2021年9月まで費用は出ていく一方なのだ。これも普及のためとはいえ"太っ腹"。2019年12月には、単月での決済回数が1億回を超えたらしい。決済の平均単価が1回500円、クレジットカード会社の決済手数料が3%だとすれば、『PayPay』は全国のお店に1カ月150億円もの利益を還元していることになる。むしろ100億円あげちゃうキャンペーンよりお金がかかっているかもしれない。

筆者が『PayPay』を取材しよう、と決めたときの写真(左)。
どうでもいいのだが、僕は昔の文豪みたいに、週末は地方の温泉にいって原稿を書きます。
そして、とあるひなびた街の終点の駅の近くで、おじいさんがひとりでやっている店に入ったときのこと。
なんと! 『PayPay』が使えるじゃないですか。『PayPay』の営業さん、このおじいさんに『スマホ決済ってなに?』と
教えるだけで大変だったろうに。そして筆者はこの一件で『PayPay』を取材しようと決めたんです。

そして、還元に関しても"秘話"があった

藤井さんには、ユーザー獲得に向けたマーケティング資金が与えられた。金額は企業秘密だが「数百億円規模」とのことだ。さて、ここで藤井さんは資金を使うバランスについて頭を悩ませた。ユーザー獲得に向け、還元キャンペーンが有効であることは目に見えている。しかし、宮川大輔さんを起用したあのCMをメディアで流すほど、メディア向けの支出が多くなり、還元額が減る。しかし、還元額を増やせばCMの出稿量が減る。藤井さんは、苦笑いしながら当時を振り返る。
「この時、私はユーザー還元を抑え、CM出稿量を多くするプランを提案しました。ところが、孫正義会長へ報告に行くと叱られてしまったんです」

孫正義氏は、意思決定に時間をかけない。決めることが多すぎるから、報告を受けたらパッと決める。さて、彼は何と言ったのか。
「『違う、もっとユーザーに還元すべきだ!』と......」

理由を聞くと、藤井さんは「想像ですが」と話を継いだ。
「まず、我々の事業は加盟店さん側も向いているからです。還元額を大きくすれば、ユーザーさんはその分、加盟店さんでより安くモノが買え、より買い物を楽しんで下さるはず。すなわち我々の還元は、加盟店さんにとっての安売りになるんです。すると加盟店さんも、売り場で"『PayPay』で支払えば○%還元ですよ"と訴求してくれるかもしれません。さらに、還元額に驚きがあれば、ユーザー間で"これ使ったらこんなにトクしたよ"という口コミが盛り上がります」

これが孫正義氏のやり方なのだろう。『Yahoo! BB』を普及させるため、当時は高額だったADSL利用料を引き下げ、駅前でモデムをタダで配った。当時、筆者は他社のADSLを使っていたが『Yahoo! BB』の低価格に驚き乗り換えた。孫氏はみんなが便利になるものを持ってきて、トクしてもらって、その後、ずっと使ってもらう。これが彼のビジネスなのだ。藤井さんが話す。
「判断は一瞬でした。しかし、そのバランスも資金量も、あとで考えてみるとすべて理にかなっていたんです」

『PayPay』が新通貨を狙う!?

さて、こうして彼らは『PayPay』を一気に普及させた。今はユーザー数が2500万に至り、2020年2月には吉野家などファストフードチェーンを中心に、食事代の40%が還元されるキャンペーンを始めた。筆者が「若者が好きそうな店が多いですね」と言うと、藤井さんは「10代の若年層が若干まだ弱く、ここも狙っているんですね」と言う。ようするに、私のようなオジサン世代はもう『PayPay』に加入済の人が多く、2月のキャンペーンはまだ『PayPay』を使っていない人を対象に絞ったのだ。

──最後に、筆者の考えをぶつけてみた。

彼らは「お金を払う」という行為のインフラを握ろうとしているのではないか? ここを握ればできることはいくらでもあるはずだ。あくまで仮の話だが「これを買った人はこれも買う」といったビッグデータを取得できれば、一般的な広告が古くなるほど効率的なマーケティング手法が編み出せるかもしれない。個人間の決済もできるから、『ヤフオク!』や『メルカリ』などCtoC(カスタマー同士の売買)プラットフォームも築きやすくなるだろうし、シェアリングエコノミーも加速するだろう。

さらには銀行業務にだって食い込める。PayPayのビッグデータとAIで「お金をこういうことに使う人は、資産はないけどちゃんとお金を返す」とわかれば、今までメガバンクからお金を借りられなかった人がむしろ低利でお金を貸してもらえるかもしれない。全国すべてのお店で『PayPay』が使えれば、家計簿も経費精算も自動化できるはず。なんなら税金もだ。

しかも、ビジネスだけじゃない。現在、様々な企業がポイントを発行しているのは周知の通りだが、そのポイントが日本中、世界中で通用するようになって「円」より使い勝手がよければ、その企業はある意味、今まで国家が持っていた「通貨発行権」を持つことになる。あくまで筆者の仮説だが、これにより「通貨」や「為替」の概念が変わる可能性だってある。そんな話を藤井さんにぶつけ「覇権を握った後で急に回収モードに入ったりしませんよね?」と聞くと、彼はこう言った。
「当社の副社長は、同じような質問を受けると"まだ具体的なことはわかりませんが、悪いようにはしません"と言っています」

誰もやったことがないことを始めたのだから、そうとしか言えないだろう。

乱立する「○○ペイ」、率直に言うと、既存の通貨は盗難や紛失の危険があって、かさばって、しかも非衛生的。正直、ここらで終わりにしていいと感じる。そしてこれは「いつかそうなるもの」ではなく、「誰かがそうすべきもの」のはず。

じゃあ、誰が? と考えた時、歴史と伝統あるメガバンクや通貨発行機関でなく、創業後間もないIT企業だったことが味わい深い。

写真:『PayPay』の藤井さんと筆者。
藤井さんと一緒に"P"ポーズ。
何かの間違いで流行ったら最初に始めたのは僕たちです。

●夏目幸明の「ヒット商品ぶらり旅」
 第1回:ロート製薬/『DEOCO』を生んだ"苦節5年"
 第2回:ツインバード工業/「世界一」を求めた"熱狂マーケティング
 第3回:ライザップ/牛サラダとスイーツでダイエットを支援?
 第4回:桃屋/味へのこだわり『桃屋のいつもいきいき』
 第5回:相模屋食料/『ザクとうふ』社長の今』
 第6回:ワークマン/快進撃のきっかけは『お試し』と『SNS』!

取材・文
夏目幸明(なつめ ゆきあき)

経済ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、広告代理店勤務を経て現職。「技術、マーケティング、マネジメントが見えれば企業が見える」を掲げ、ヒット商品の開発者、起業家、大手企業の社長などを精力的に取材。『週刊現代』の「社長の風景」は長期にわたる人気連載、著書も多数。

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