2019.10.16

<第5回>インクルーシブ・マーケティングへの理解と挑戦(前編)|新時代のマーケティング戦略論

インクルーシブ・マーケティングへの理解と挑戦

前編:真の"インクルージョン"とは? 無自覚なステレオタイプとマーケティング

最新のマーケティングをさまざまな視点で語る連載コラム、今回のテーマは「インクルーシブ・マーケティング」です。
ダイバーシティ(多様性)と共に注目され始めているインクルージョン(包括・包摂)について、その概念や歴史を確認するとともに、マーケティングの領域ではどのような視点を持つべきかを説明します。

インクルージョンの由来と日本での浸透

インクルージョンとは、日本語で「包括、包摂」と訳されることが一般的です。概念としてインクルージョンが普及したきっかけは、「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」という言葉の誕生と言われています。

1970年代のフランスでは、長期失業から貧困状態に陥った人々が社会的な機会を損失している状況を「ソーシャル・エクスクルージョン(社会的排他)」と表し、その解決を目指す対義語としてソーシャル・インクルージョンの重要性を唱えました。同年代、米国でもマイノリティの差別と雇用機会損失に対して社会運動が増加し、法整備や企業の取り組みが進んでいます。
欧米では、歴史や経済状況と紐づく排他的な状況が日常的にあることと、多種多様な人種や民族の人々が共に生きていく社会であることが、包括的な考え方を広めるきっかけになったのです。

その点、単一民族が大多数を占め、終身雇用制度や年功序列制度が普及した日本では、そもそもソーシャル・インクルージョンの必要性を感じる機会は少なかったようです。
日本でソーシャル・インクルージョンへの言及が始まったのは、2000年です。
厚生労働省の「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」報告書(2000年12月)には、「全ての人々を孤独や孤立,排他や摩擦から援護し,健康で文化的な生活の実現につなげるよう,社会の構成員として包み支え合う」という定義でソーシャル・インクルージョンが取り上げられました。
グローバリゼーションが進んだことによる企業体制の変化、少子高齢化による人材不足の懸念、社会的価値観の変容などが、日本におけるソーシャル・インクルージョンの定義を生み出したのです。

欧米のソーシャル・インクルージョンの定義と比較し、日本の定義はより広範です。そして、「孤独や孤立」、「社会の構成員として包み支え合う」という言葉から、個々人が社会から離脱することを防ぐことに重きを置いている点も特徴的です。
同じビジョンを目指しながらも生まれるニュアンスの違いは、日本が同質性を重んじた社会を構築してきたことの表れかもしれません。

ダイバーシティ&インクルージョンの正しい理解

インクルージョンを正しく理解するために確認しておきたいもうひとつのキーワードが、ダイバーシティ(多様性)です。
近年、CSRのひとつとしてインクルージョンに触れる企業は多くなりつつあります。ANAホールディングス株式会社カルビー株式会社は、「ダイバーシティ&インクルージョン」を重要なミッションとして掲げており、具体的な取り組みや実績を公開しています。

ダイバーシティはあくまで多種多様な人材への視座を生み出すための概念であり、その人材が相互作用しながら、長期的に活躍していくことについては触れていません。
「ダイバーシティ&インクルージョン」とセットで言及されるのは、インクルージョンを含んで初めて、誰もが満足な就業環境を整えられるからです。

「どんな人材も機会さえあれば活躍できる」という理想は、現実的ではありません。具体的な例で言えば、子どもを持つ女性の人材活用を積極的に行ったところで、子どもを育てながら就業できる体制やシステムがなければ活躍できません。
ダイバーシティとインクルージョンの違いを理解しやすいのは、それぞれの指標が何かを知ることでしょう。ダイバーシティは多様な人材に関する正社員雇用者数や昇進率の向上が指標となることが多い一方、インクルージョンは社員の満足度や離職率低下などが基準となります。

双方を意識すれば、多様な人材が長期的に社会貢献し、それぞれの強みを生かせる企業や環境が生まれます。また、持続可能な社会の実現を目指すSDGsが掲げる指標とも重なりますから、社会課題解決へのアプローチと捉えることもできるでしょう。

(関連ページ:「企業のSDGsへの取り組み支援・事業共創」)

インクルーシブ・マーケティングとは。そしてその重要性は

インクルージョンは、マーケティング領域でも「インクルーシブ・マーケティング」という言葉によって注目され始めました。
インクルーシブ・マーケティングは電通グループによって掲げられた概念です。「マス・マーケティングやワントゥワン・マーケティングの課題でもあった『多様な個人への目線の拡大』をさらに前進させ、生活者の多様性を前提とした企業のより積極的な社会価値創出により、社会と共に自社事業の持続的成長を促進していく」と説明されています。

マーケティングという行為は、ターゲットを定め、そのターゲットに向けたメッセージをいかに発信するか戦略構築しますが、ターゲットから排他される人々について再確認することが、インクルーシブ・マーケティングにおけるポイントです。
例えば、化粧品のマーケティングで女性モデルを起用した広告が目立つのは、化粧品は女性が使うものだと考えられているからです。しかし一方で、近年はファンデーションやアイブロウを日常的に使う男性ユーザーは増えつつあります。もしも女性モデルを多用することでマイノリティである男性ユーザーを排他してしまっているのであれば、その点を再考することがあってもよいはずでしょう。

また、メイン・ターゲット以外の潜在的顧客に情報が届かないケースもあります。幅広い年齢層で使われる商品であっても、若者向けのデバイスやSNSを優先したマーケティングを続ければ、シニア層はスムーズにアクセスしづらくなるでしょう。マーケティング領域における情報提供には、意外と多くのギャップや課題が残されています。

従来のマーケティング手法では、ターゲティングを強調することで同質性を助長し、個々の持つ特質を否定していたことも少なくありません。しかし、多様性への注目が深まりつつある昨今、広告やユーザーコミュニケーションによって偏りのあるメッセージを発した企業の評価や信頼が揺らぐことは言うまでもないでしょう。
マーケターは単なるトレンドとしてではなく今後のマーケティングを考える礎として、インクルーシブ・マーケティングを捉える必要があります

インクルーシブ・マーケティングはターゲティングの手法ではない

インクルーシブ・マーケティングについて考えるとき、マーケターはターゲティングの手法としてこの概念を理解しないよう注意しなければなりません。インクルージョンが指すのは包括・包摂であり、排他されたクラスターにスポットを当てて、その差を再確認することではないからです。

例えばアパレル・化粧品ブランドの広告で、今まで起用の少なかった体型や肌の色を持つモデルが活躍する姿が多くなってきました。彼らと類似の特性を持つ人々は、今までブランド側の発するメッセージやビジョンから排他されていたからです。ただし、これはあくまで多種多様なからだを持つ人々を等しくターゲットとする意思の表れであり、特定の体型や肌の色を持つ人々のため"だけ"への情報提供を目指したものではありません。

インクルーシブ・マーケティングは、強いて言うのであれば「ターゲティングをしない」手法と捉えられるかもしれません。今までターゲットを狭めることで無意識に排他していたターゲットを再確認し、拡張したビジョンやアイコンを提示するための指標と言えます。
したがって、マーケターが目指すべき最終的な社会のありようは、インクルーシブ・マーケティングという概念そのものが語られなくなることです。性別や年齢、人種や経済格差などあらゆる条件に対して配慮があり、どんな条件下に置かれた人々も阻害されることなく商品やサービスにアクセスできること。それが叶えば、インクルーシブ・マーケティングはスタンダードとなり、消費者の生活はより選択肢の多いものとなるでしょう。

インクルーシブ・マーケティングを実現するために

適切なインクルーシブ・マーケティングに取り組むためには、ゴールの設定が重要です。
新たな戦略や施策を思案することもひとつの方法ですが、まずは自社が取り組んでいる既存の戦略に対して下記の疑問を持つことから始めてみてはいかがでしょうか。

●ターゲティングによって排他されている消費者はどんな消費者か?
●その消費者層を包括する手段は何か?
●自社商品・サービスを伝えるための手段がステレオタイプになっていないか?

これらのポイントに疑問を持ってカスタマージャーニーを再確認したとき、おのずと答えは見えてくるでしょう。
後編では、上記の疑問に対してそれぞれの解決策を見出した企業のマーケティング事例を紹介します。各業界がインクルーシブ・マーケティングに挑戦するためのヒントを、共に探りましょう。

筆者プロフィール
宿木雪樹(やどりぎ ゆき)

広告代理店で企画・マーケティングについての視座を学んだ後、ライターとして独立、現在は企業の魅力を伝える記事執筆を中心に活動。大学にて文化研究を専攻したバックボーンを生かし、メディアのトレンドについてフレッシュな事例をもとに紹介する。2018年より東京と札幌の2拠点生活を開始。リモートワークの可能性を模索中。

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