コミュニケーション領域すべての統合プロデュースを行う株式会社イグナイトの代表取締役で、Advertising Week Asiaのエグゼクティブプロデューサーとしても活躍する、笠松良彦氏の連載。 第6回=最終回は、ブランドからのメッセージにおける「クリエイティブの重要性」について、解説します。
語り:笠松良彦 構成:C-station
理屈だけでは、共感は生まれない
最終回となる今回は、クリエイティブの重要性と、なぜそれが利益の最大化につながるのかを、解説します。
私は30年以上、マーケティングや広告の仕事をしています。ですが、自分自身にクリエイティブの才能はまったくありません。私は、マーケティングプランナーであり、ビジネスプロデューサーです。自分の仕事は、「ブランドの想いをどのようにクリエイティブの方々にお渡しするか」ということだと考えています。
広告表現の世界では「言っていることは正しい」「理屈は理解できる」だけでは共感が得られないケースが多々あります。だからこそ、「伝えたいことをどのようにプロのクリエイターに託すか」が重要になってくると思うのです。なぜなら、人間は理屈だけでは説明しきれない、さまざまな行動をするからです。
理屈では説明しきれない人間の行動を「買い物」で考えてみたいと思います。
たとえば、「バッグという機能」だけで考えればどこのバッグでもいいはずなのに、なぜ100万円以上もするエルメスのバーキンが売れるのでしょうか? 何が顧客の心を掴んでいるのでしょうか?
もちろん、最高級の革を使っているとか、デザインがすばらしいとか、成功者の証として優越感に浸れるとか、いくつかの理由はあるでしょう。しかしこれは、コストパフォーマンスやROI(投資利益率)といった左脳的な理屈だけでは説明しきれません。
ここからは私の持論ですが、エルメスのバーキンが売れるのは、「人間が右脳(感情)的な生き物である」と言う仮説で考えれば理解できそうです。どういうことか。具体的に説明しましょう。
人間は「理屈よりも感情で動く生き物」
諸説ありますが、人類の祖先といわれる猿人が二足歩行を始めたのは、約350年前といわれており、そこから、いまの私たちに極めて近いホモサピエンスが誕生したのが約20万年前といわれています。
つまり、私たち人類の歴史の350分の330(約94%)は、「猿人」の歴史であり、左脳的な理屈よりも右脳的な感情に支配されている生き物だと考えても不思議ではないというのが私の仮説です。
人間が非合理な行動をする生き物である理由を、人類の歴史から著者が推察した図
科学的に証明はされていないですが、一説によると、人間は右脳が8割、左脳が2割を支配しているそうです。これをコミュニケーションの世界で考えると、次の図のようになります。
人間は、左脳が処理する「伝える」「理解する」という言語領域よりも、右脳が処理する「共感する」という感性領域の能力のほうが高い
この図の仮説が正しいとすると、われわれは左脳で考えているようで、実は右脳で判断していると言えるのではないでしょうか。つまり94%猿人である人間は、実は「理屈よりも感情で動く生き物」であり、先ほどのエルメスのバーキンのたとえで言えば、このブランドには顧客の心を掴む「共感」のチカラがあると考えれば、売れている理由も納得できるかもしれません。
この、理屈では説明できない「共感」を生み出すためには、クリエイティブのチカラが非常に重要です。いくら理屈が正しくても、動物である人間を「共感」させるためには、言葉だけでは表現できない、「感性に訴える何か」が必要だからです。そしてこの感覚を、私はとても大切にしています。
「共感」は「理屈」よりも効果につながりやすい。この私の持論の有用性を、「企画の意図や伝えたいメッセージは正しいけれど、まったく共感できなかった」事例で説明しましょう。
共感より理屈を優先した失敗例
数年前、とある企業がオンエアーしていた企業広告のシリーズで、アーティストやプロスポーツ選手などの著名人を複数起用し、真摯な企業姿勢を伝えるというテレビCMがありました。伝えたい内容はとてもよいメッセージだったと思います。
しかし、残念ながらCMを通してその企業のメッセージにまったく共感できないと言う人が大勢いました。なぜなら「タレントが明らかに言わされている」のがわかるCMだったからです。
これは、「共感(右脳)」ではなく、「理屈(左脳)」を優先させた失敗例です。何を伝えるかに重きを置き、どうやって共感してもらうかを置き去りにした結果ともいえます。
重要なのは、適正なコストのバランス
どんなに予算をかけて高クオリティのコンテンツを制作しても、広告はメッセージを届け、共感してもらえなければ"成功"とは呼べません。届けたい顧客の生活環境を踏まえた適正なタッチポイントの設計(メディアプランニング)も重要です。
一方で、昨今明らかに低予算で制作された動画広告を目にする機会があります。しかしこれも、クオリティが低いため、共感のレベルに達することは難しくなり、広告としては機能しづらいものになるケースが多いようです。
重要なのは、メディアプランニングとクリエイティブの投資対効果のバランスの観点であると思います。
たとえば、テレビへの出稿。高額の媒体費を払ってCMを流すのに、制作費を安くして共感の得られないCMを作るのは、全体の投資対効果で考えると得策とはいえません。
また、驚くような高額の制作費でCMを制作し、少ない媒体量を買い付けるのもアンバランスです。適正な制作費と媒体量のバランスを考え、かけるべきところに適正なコストをかけることが大切です。
プロを信頼することで生まれる「共感」
顧客のタッチポイントに適したクリエイティブは、届けるだけでなく「共感」まで生み出します。そのためにプロのクリエイターに依頼すると言っても過言ではありません。
一般的に、あるレベル以上のプロフェッショナルになるには、1万時間以上を費やす必要があるといわれています。私たちが何かの領域でプロを雇うということは、その人が費やした時間と獲得したスキルにお金を払うということです。
そして、一度プロに依頼をしたら、基本的にはプロの領域には口出しをしないことが重要です。
たとえば、書道を思い浮かべてください。プロの書道家に書を依頼する場合、どんな文字を書いてほしいかは伝えても、仕上がった表現に対し、「ここのハネをこうしてほしい」「この線をもう少し太く」などと、表現スタイルへの注文はつけませんよね。ハネや線の太さはプロの領域であり、素人が口を出すのは論外だからです。
これは広告のクリエイティブにおいても同様です。
広告は書道と違い、普段から見慣れているので、つい口を出したくなってしまうかもしれません。しかし、しつこいようですが、プロと素人ではかけた時間が1万時間以上も違うのです。ですから、もの作りにおいては、プロを信頼すること、もしくは信頼できるプロと仕事をすることは大切な要素といえるでしょう。
もちろん、まったく意見を言ってはいけない、ということではありません。議論はどんどんすべきです。また、商品機能など商品そのものに関する意見は正しく伝えた方が良いです。しかし表現方法に関わる内容で、もし意見が異なったり、迷ったりした場合には、プロのクリエイターの"感性"に任せることをおすすめします。なぜなら、共感を得る表現というのは、左脳的に説明可能な領域ではないからです。
共感の効果を大きく左右する、クリエイティブの質の重要性
「信頼できるプロ」を見つける方法
ではいったい、どうやって「信頼できるプロ」を見つければよいのでしょうか。それは情報収集に尽きます。
しかし一方で仮に運よくお気に入りのトップクリエイターを見つけても、すぐには仕事を受けてもらえるとは限りません。私が思うに、トップクリエイターと言われる人は、非常に限られていると思います。忙しい著名クリエイターを指名するにはよほどの予算があるか、過去に何度も実績がないと難しいでしょう。
では、まったく方法がないかと言えばそうではありません。
私自身は、トップクリエイターや、著名なPRストラテジストなど、私がどうしても一緒に仕事がしたいと思う相手には、とにかく「会いたい」と無理矢理アポを取り、そこから時間をかけて仲良くなり、少しずつ距離を縮めて、一緒にお仕事をさせていただけるように地道な努力をしています。よいスタッフと働くには、常日頃から情報収集を行って、自ら動く、会いに行くことがいちばん重要だと痛感しているところです。
「よりよい顧客体験の設計」、その先に利益の最大化がある
ここまで全6回にわたって、パーパスと顧客の深層心理のインサイト、それらが合致するブランドからのメッセージ開発、顧客が共感する顧客体験のデザイン・設計の関係について、私の知見を述べてきました。
すべての企業・ブランドの活動は、「よりよい顧客体験をつくる」ことにつながっています。だからこそ、よりよい顧客体験のデザイン・設計は、マーケティングに関わるすべての人にとって非常に重要なのです。そして、これらの積み重ねの先に、「利益の最大化」があります。どれかひとつ欠けても成功はありませんし、それは決して楽なことではありません。だからこそ、おもしろいのだと思います。
いま、私たちは予測不可能な時代を生きています。そのなかで、企業・ブランド、そして生活者と真摯に向き合っていく。困難な道を歩むことになるマーケターの仕事は、今後ますます、やりがいに満ちあふれ、おもしろくなっていくと私は考えています。
重要なのは、いかに企業・ブランドと、顧客を「共感の絆」でつないでいけるか。本連載の内容が、少しでもそのヒントとなれば幸いです。