「おもしろいじゃん」
で始まった次第です
平野:当社の設立は1932年で、社名は「東京光学機械株式会社」。旧帝国陸軍に向け、測量機、双眼鏡、カメラのほか、火砲や銃の照準器も供給していました。
夏目:大砲や鉄砲の弾をあてるための光学機器を製造していた、ということですね。あれ? たしかニコンさんも似た研究をしていたような。
平野:ニコンさんは当時、日本光学工業という名で、旧帝国海軍が設立に関わっています。
夏目:なるほど、陸海軍でそれぞれ研究をしていたんですね。そして戦後、ニコンさんはカメラをつくった。一方、貴社は......?
平野:カメラも製造しましたが、測量機や、視力をはかる機械などの製造をしてきました。そんななか、1994年に転機が訪れました。アメリカのサンフランシスコに、土木建機とGPSを連動させよう、というコンセプトのベンチャー企業があり、我々はここを買収したんです。
当社は光学器械をつくってきました。情報を集め、計測する技術を持っていたんです。そしてここからは、計測したデータを機械に伝え自動化するビジネスモデルに踏み出せたのです。
夏目:わかってきましたよ。貴社のコア技術は、長く「いままで見えないものを見えるようにする」「見えたものを数値化する」ことだったわけですね。大砲の弾を遠くの目標にあてる測距義(そっきょぎ)も、眼の検査に使う装置も、コア技術はこれです。
平野:そうですね。
夏目:そして、アメリカのベンチャーの買収により「見えたデータを機械に連動させれば、自動で動く機械ができるんじゃないか」という段階まで進んだ。これは「光学機器から得た情報だけでなく、GPSや各種のセンサーから得た情報も活用すれば農業機械や建設機械を自動化できるはずだ」と具体化していった、と。
平野:おっしゃるとおりです。
夏目:私がしゃべってすみません。よく、バブルが崩壊した時期に現在こうなると見通せましたね。もしアナログの測量機だけを作っていたら、御社は現在の技術によって市場から駆逐される側だったと思うんですが。
平野:そうなんです。ただこれ、最初は「なに? おもしろいじゃん!」というノリでスタートした次第なんですね。
アメリカ駐在時の仲間とともに撮影した一枚。
最前列右から4人目が平野氏。
1998年、アメリカの子会社が赤字を脱却した時期の写真だという
人類の大問題だからこそ
市場規模も大きい
夏目:へ?
平野:私がオランダに赴任していた時代に親友になった米国在住のアイルランド人が「土木の分野では、計測だけでなく、将来は施工も自動化されるよね」「それの実現を目指しているベンチャー企業があるよ」と連絡をくれたんです。親友はいまも、アメリカの子会社のCEOをやってくれています。
夏目:アンテナに引っかかったところまでは偶然だったんですね。
平野:ただし、このあとは必然だったと思います。今のお話を聞いてたら、クレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」という書籍の内容を思い出しました。本業が潤っているほど新しいことを始められない、というのです。
今思えば、当社はこれの逆でした。双眼鏡や照準器などで培ったコア技術を、戦後、別の事業に活かしてサバイバルしてきたんです。結果、上層部/現場の別なく、多くの人間がいつも「このままじゃいけない」と考える社風になったのでしょう。当時、私が38歳、子会社CEOの親友が33歳と若く、かつ夢物語のような話を、本社の幹部の大多数がサポートしてくれたんです。
いまの事業があるのは、先輩たちに先見の明があったからこそ。本当に感謝しています。
夏目:平野さん、自分の手柄にせず、先輩を立てるあたりがカッコいいですね......。
平野:あとは、ビジュアルが衝撃的だったこともラッキーだったと思います。夢物語のようなことを口頭で説明してもなかなか伝わりません。そこで「わかってもらうためには実現するのが一番いい!」とブルドーザーがほぼ自動で動くさまを実演したんです。すると一様に「これはすごい!」となるんですね(笑)。
夏目:そんな話も踏まえ、今後、機械の業界はどうなっていきますか?
平野:間違いなく、様々な産業が自動化へと進んでいくと思います。しかも、これは未来の話でなく、すぐ訪れる近未来の話です。キーワードは「定量化」。光学機器やセンサーやGPSで集めたデータをマシンにリンクさせる、まさにその部分が難しいのだと思います。
そんななか当社は、医療、農業、土木の分野に狙いを定め、「医食住」を変えようとしている、というわけです。
夏目:衣食住じゃなくて医食住なんですね。なぜこの分野だったんですか?
平野:地球規模の問題だからです。人類の大問題だけに、市場規模も大きい。世界の自動車産業の市場規模は約100兆円、しかし世界の農業や土木は700兆円~800兆円規模ですからね。
イノベーターになりたいなら
一人でハンバーガーを食べてから
夏目:いやー、平野さんのお話、面白かったです。
ときに平野さんはどんな人なんですか?
平野:元々はエンジニアです。性格的な特徴としては、人と違うことをすることが好きです。例えば、好きな数字は4と9。日本では「死や苦につながる」と嫌われる数字ですが、私はだからこそ好きですね。
夏目:ホントはちょっと変わった方なのかな、と思った瞬間でした。
平野:(笑)。だから、事業を選ぶときも、だれもやっていないことを「面白そう!」と思ってしまったんでしょう。
あとは、どれくらい苦労するか考えませんね。考えていたら、絶対にできないから(笑)。
夏目:ポジティブでかっこいいけど、その考え、様々な失敗も呼び込みますよね......。
平野:はい、エンジニア時代もよく普通ではない図面を書き、なかには大失敗したこともあります。電池ボックスって、普通はマイナス側に電池をおさえるバネがあるんです。しかし、スペースを効率をよく使うため、たまたま電池のプラス側にバネをもってきたくなり......「こっちがマイナスって誰が決めたんや」と通常とは逆の電池ボックスをつくったんですね。その結果「いつも電池を逆に入れてしまう」と大クレームをいただきました。私は24歳くらいで、「ここまで慣習に逆らっちゃいかんのやな」と学びました。
夏目:アメリカのベンチャーを買収した時も様々あったとか?
平野:ええ、私はあまり「大変」と思わないんですが、あの時は大変でしたね(笑)。アメリカで新会社を立ち上げ、元エンジニアの私が、総務や経理など会社のオペレーションも見ることになりました。するとすぐ資金繰りから、「私が彼にされたことはハラスメントではないのか」といった人事上の難問まで私の元に持ち込まれてきたんです。しかも、英語で(笑)。
夏目:いろいろ学びもあったのでは?
平野:正解を探し書籍を読み、先輩の話を聞き、もがきました。私は未熟で、決済を求められても、何が正解かわからないのです。正直に言えば「誰とも会いたくない」と思い、昼食はハンバーガーを買って、わざわざ社員に会わないよう公園に行って食べるような状態でした。
ところが、ある日突然、悟ったんです。「経営は算数ではなく、絵なのだ」と。経営には算数のような正解はなく、様々な「カラー」があるのだ、と。回答は自分自身がキャンバスに色を塗って作っていけばいい、だからこそ創意工夫もあるのだ、と......。
夏目:......壮絶ですね。
平野:しかも、売上は立たずコストばかりかかるから、銀行との交渉もしなければいけません。現地の銀行に行き「売り上げは急激に伸びています。研究開発費が膨大なだけなんです!」と必死で訴え、与信枠の拡大を求めたこともありました。よく、水前寺清子さんの曲の歌詞から「ぼろは着てても心の錦♪」と自分に言い聞かせていましたね。
夏目:多くのイノベーターが、そんな思いをして世の中を変えてきたんでしょうね。
平野:ただ、不思議と振り返ってみると、最高の体験なんですよね。私は今の未来が訪れると堅く信じ、今まで誰もやっていない、と毎日面白がっていました。
今思えば、そんな興奮こそが、未来へと進んでいくエネルギーだったのかもしれませんね。