ニッポンの「米」を変えた男、登場!
マーケティングなんかいらない!?
発明家社長の「食品市場進化論」とは
一風変わった"発明家社長"の登場だ。東洋ライス、雜賀慶二氏。ひょんなことから精米機のメーカーを創業し、その後、洗わずに炊ける「無洗米」や、玄米に近い栄養を持ちながらも白米同様に食べられる「金芽米」を世に出し、80歳を超えてなお現役社長として活躍する人物だ。彼が歴史的洞察をもとに語る「食品」業界の未来図は、まさに発明家らしく他では聞けない独創的なものだった。
考えれば何とかなりそうなことは、
考えれば何とかなるもんですよ
夏目:食品業界、大きく変わってきたと思うんですが。
雜賀:ええ、戦後の食べ物がない時代からだと隔世の感がありますね。
夏目:(そこからですか)............。
雜賀:中学校を卒業したばかりの私が弟の食べものまで何とかせなあかんから、何でもやったもんです。例えばウナギ捕り。竹を切って節を残しておくと。先が行き止まりになった長細い筒ができますでしょ。その奥にエサを置いて、川に入れておくんです。ウナギが入ってきたらもう出られへん(笑)。必死やからよう工夫しました。長い間タニシの匂いがするように、竹筒の中に小部屋をつくって、そこにタニシを入れたり......。
夏目:それが発明の原点ですか?
雜賀:多分そうで、こういう工夫は大好きなんです。考えれば何とかなりそうなことは、考えれば何とかなるもんですよ。
夏目:最初の発明は「石抜き機」でした。
雜賀:実家が精米機の代理店で、私も見よう見まねで修理に行ってたんです。でも、それがよかった。自分で観察して「こういう仕組みで動くんやな」とわかってくると、工夫できるようになるんです。そんななか、お米屋さんからよく「何とかならんかな」と言われたんが、お米に混じった小石のことでした。もちろん、売る前にふるいにかけたりしてどけるんですが、大きさや色がお米と似てると残ってしまって、かむとガリッと歯が欠ける。メーカーに何とかならないか聞いても「そういうもんや」と言われるから「だったら自分で工夫してみようか」と。
夏目:どんな工夫をしたんですか?
雜賀:空き箱に石が混ざった米を入れて、箱をポンポンと叩くと、石は重さが違うからか片っぽに寄るんです。こらいけるかな、と思ったけどダメやったから、また別のことを考えました。ブラインドのように格子状になったものを斜めに置いて、その上から米と石が混ざったものを流すんです。下からは風をあてます。すると、格子のスキマや、格子の角度や、風の強さを調節すると、米は格子の上を流れて石だけ下に落ちたんですよ。
夏目:オリジナリティが高いものって、教育からは生まれないのかもしれませんね。
雜賀:そら、まだ存在しないもののつくりかたは誰も教えてくれへんからね(笑)。
夏目:何年くらいかかったんですか?
雜賀:それが、わからんのです。
夏目:というと?
雜賀:一般的に「考える」いうのと少し違うからです。思考には「集中思考」と「拡散思考」があります。集中思考はテストの問題を解く時のようなもので、一般的に「考える」と言うとこちらを指します。一方「拡散思考」は、テレビを見ていても風呂に入っていても常に頭のどこかでヒントを探している、という状態を何年も、時には何十年も続けることを指します。そして、ヒントは自然界や他の機械など様々なところにあって、それが解決したい何かと、ふっと、結びつくことがあるんですね。
時代があとからついてくる!
「異端児マーケティング」
夏目:そののち雜賀さんは「無洗米」や「金芽米」を発明されますね。なぜ研究を始めたんですか? よく「マーケティングとは、時代についていくこと」なんて言いますが......。
雜賀:いや、私はマーケティングがどうと考えたこと、一度もないんです。この件に限らず「儲けよう」と思って何かを始めたことがありません。そんなんやから逆に「これも何とかしたい」「本当はあれも」とやるべきことが次々目につくんでしょう。無洗米も金芽米も、世の中に必要だからつくって、そしたら......カッコよく言えば「時代がついてきてくれた」わけです。
夏目:無洗米の開発の経緯を教えて下さい。
雜賀:昭和31年に妻と旅行で紀淡海峡を渡ったんです。海が綺麗で、底まで見えてね......でも20年後にまた妻と行ってみたら、色が黄土色に変わっていたんです。米から出るぬかにはリンや窒素が含まれ、ヘドロの原因になることはわかっていたので「とぎ汁が出ないお米を開発しなければ」と思ったんです。
夏目:お米を炊く手間を減らそうとしたわけじゃなかったんだ!
雜賀:ええ。実を言うと「とぐ手間が必要ないお米」は比較的スムーズに開発できたんです。米を洗って乾かすと、米粒にヒビが入って食感が悪くなります。なら水が染みこむ前に乾かそう、と思ってやってみたら、ちゃんとおいしい無洗米ができた。
でも、それは販売しませんでした。
夏目:なぜですか?
雜賀:米のとぎ汁を汚水処理業者に持っていくと「雜賀さんそれはできませんよ」と言うわけです。肝心のリンが分解できないらしい。業者さんは「リンを分解してなくても法律上問題ないから売りましょう!」と言うんだけど、そうじゃない。
余談ですけど、今でも悔しいのはこの時点でマネをされたことです。特許を出願したら、その資料を見て、無洗米がワーッと世に出てきたんです。これが環境のことも考えてない上に、味もよくなかった。のちにとぎ汁が出ない「BG無洗米」(※Bran=ぬか Grind=削る でBG)を開発して米屋やスーパーに持っていくと「あんなマズいものはいらん」と言われるから困り果てました。
昭和31年、紀淡海峡を渡った際の雜賀社長
夏目:BG無洗米はどういう経緯で生まれたんですか?
雜賀:頭を悩ますなか、ぬかがついている米粒にガムテープをくっつけてみたんです。「おお、やっぱりぬかはとれるな」と。でも一粒ずつガムテープでとるわけにはいきません。そこで「ネチャネチャしたものに米をぶつけてみたら?」と、水あめにぶつけてみたんですが、うまくいきません。
そんなことをしているうち、たまたま服にチューインガムがくっついて困ったことがあったんです。その時、人から「同じものでやるととれることがあるよ。ガムでこすってみたら?」と聞いて、実際やったらうまくいったんです。
そのあと、ふとした瞬間に「待てよ、ぬかはぬかでとれるんちゃうか?」と思ったんです。精米工場の金属には、よくぬかがくっつくんです。しかも一度くっついたら、雪だるま式に、ぬかにぬかがくっついていく。本来、困ることだったんですが、この場合は良いほうに応用できると思ったんです。そこで、精米したてのお米を金属の筒にあててみると、やっと水を使わない無洗米ができた、というわけです。
夏目:まさに「拡散思考」ですね! 研究には何年くらいかかったんですか?
雜賀:昭和51年(1976年)から始めて、BG無洗米の発売が平成3年(1991年)だから、15年ほどですね。
夏目:ずっと頭の中にあって、ようやく実現したわけですね。
雜賀:今思えば、その間、ずいぶん変わり者扱いされたものです。昭和の時代に、人前で「環境のためにも開発を」なんて話すと、その時はみんな黙ってるけど、あとで「ちょっと変なやつやな」と言われる(苦笑)。ところが......あれは平成の何年くらいからだったかな、今度は世間が「これからは環境や」と言いだしたんです。
夏目:市場のニーズからの発想でも、技術シーズからの発想でもないわけですね。世を憂えて、長い目で見て正しいことをすると、時代が後から付いてくるんですね。
雜賀:ただ、そういう目で見ると、今の世の中は本当に恐ろしいですよ。例えばスーパーで肉や魚を買うと、立派な使い捨てのプラスチック容器に入っていますが、戦後ならみんな洗って再利用したでしょう。便利で経済性に見合えばやっていいことばかりじゃないんです。食べものだって余るほどあって、毎日がお正月のようです。しかも、それを当然と考え、怖れていると異端児扱いされてしまいます。でも人間はこんなことを続けていていいのでしょうか。長い目で見て正しいのは、モノがなかった時代か、現代か......。私は恐ろしい気持ちになることがあります。
夏目:制度も常識も、じつは流行のように移り変わりますからね。もう数十年も経てば、ペットボトルでなく湯呑みでお茶を飲む時代が来るかもしれませんね。
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