まさか「大食いの絆」が、
技術革新のカギ!?
IT化により実現!
次世代型大ヒットの業態
紳士服業界第4位、連結売上高約700億円のコナカ・湖中謙介社長を取材した。2016年10月に、オーダーメイドスーツを3万5000円から買える「DIFFERENCE」をオープンさせ、急成長する同社。湖中社長は何を先読みして新業種を展開したのか。そして業界の未来をどう読むのか。ちょっとお茶目で、けっこう破天荒な湖中社長のトークは、勉強になり、かつどこかユーモラスだった。
自動車、家電、そしてファッション。
各業界に共通する「進化の歴史」とは?
夏目:余談ですが、湖中さん、ものすごい量の食事をされるそうですね。いろんな伝説をお持ちとか?
湖中:週に1度くらい、1キロのステーキを食べに行きますね、先日も、よく食べる社員たちと大盛りで有名な店に行って全部食べきって、店主の方に「すごい会社だな! みんな最高だよ!」とお誉めの言葉をいただきました(笑)。社員とも大盛り上がりです。
夏目:で、本題ですが、アパレルの未来像を伺うにあたって、今までの市場の状況を教えていただけますか?
湖中:当社が創業した昭和30年代当時、スーツはオーダーメイドがほとんどで、価格は1ヵ月のお給料では買えないほどでした。そこで当社の前身「日本テーラー」は、生地を官公庁や企業に持ち込み、給与から天引きの20回払いにして、スーツをお求めやすくしたんです。
しかし、この販売法には限界がありました。持ち込める数には限界があるため、お客様の選択肢が限られてしまうのです。
夏目:ユーザーの指向として、多くの方が「安さ」の次に「TPOに合わせて選びたい」と思うものですよね。
湖中:そこで、多数の在庫を持ち、お直しして販売する店を出しました。持ち込みでなく、割賦でもない分、お値段は下げられます。するとこれがウケまして、横浜の伊勢佐木町商店街にオープンした当社1号店は、だいたい毎日、品物の半分ぐらいが売れてなくなったほどでした。ここから各社、さまざまな手法でお客様への訴求を始めます。なかでも、お店とお客様、双方に大きなメリットがあったのは「2着セール」でした。1着目はこの値段、でも2着目はお安くできますよ、という売り方です。お店は工場を維持・拡大するためには売上が必要なので、2着目をお買い求めいただけるなら安価にできたんです。一方、お客様はスーツがより安価になればTPOに合わせて選べます。
夏目:ちなみに当時のお値段は?
湖中:不思議とスーツはほとんど値段が変わらないんです。当時も今も、ずっと1着3万円を切るか切らないか、くらいなんですね。
夏目:へえー! その後、大量の在庫を持つお店が進化して、郊外型の大規模店になっていきますね。
湖中:販売だけでなく生産も進化し、機械化が進んでいきました。そもそもスーツは体の構造に合わせ立体的に縫っていくため、縫製には熟練の技が必要です。例えば襟や袖をつける部分は、美しい曲線を描くよう、今も職人が縫っています。しかしズボンの脇やポケットを縫う作業は徐々に機械化していき、これが価格に反映していったんです。
その後、時代は時代でどんどん移り変わります。バブル期にはブランドスーツが流行しました。その次に「機能性スーツ」が市場に出てきます。
夏目:貴社では「シャワークリーンスーツ」ですね。シャワーで汚れを落とし、一晩陰干しすれば折り目も復活する、という――。
湖中:お客様からの強いご要望があって誕生した商品です。日本はスーツの着用に不向きな蒸し暑い国だからこそ、絶えず「長時間酷使しても形態が安定していてほしい」とか「もっと通気性を」といったお声をいただきます。俗に「日本のお客様は世界で一番厳しい」と言われますが、スーツをお買い求めになるビジネスパーソンの方々は、そんな中でも最も厳しい目をお持ちになっている存在です。そんななか当社は、豪州政府が羊毛の輸出促進のため出資する「ザ・ウールマーク・カンパニー」さんと一緒に技術開発に取り組み、様々な成果を得ています。
例えば、髪の毛のパーマの原理を応用して繊維に形状を記憶させる「セット加工」。この技術により「形状記憶・防しわ」スーツが生まれました。「ザ・ウールマーク・カンパニー」さんには、ウールを知り尽くしている技術者の方がいらっしゃって「こう加工した材料を当社工場でこう使えば......」とアイデアを持ち寄って実現しています。シャワークリーンスーツも同様です。そもそもウールは汚れには強いんですね。繊維が汚れを弾いて、内側に浸透しにくいんです。そこで我々は、表面の汚れを洗い流せるウールを開発しました。速乾性も求められるなど技術的難易度は高かったですね。しかし発売するや、商品が品薄になるほどのご支持をいただき、今も当社の売れ筋商品のひとつになっています。
夏目:昭和40年代から大量生産の時代が来て、バブル期にちょっと行き過ぎなくらい高級品がウケ、その後、機能性や実利性が求められていく......。まさに自動車や家電など、他業種と同じ流れで変わっていくんですね。
湖中:大まかな歴史は、どんな業界でも似ているのかもしれませんね。
技術革新のために必要な
「絆」のつくり方は......?
夏目:そんな激変のなか、貴社が勝ち抜いてきた理由ってなんだと思いますか?
湖中:原料を仕入れ、縫製を行ない、お客様にお渡しするまで一気通貫したビジネスを行ってきたことでしょう。今までは、生地を製造する会社と、デザインする会社、縫製の会社、小売りの会社がわかれていました。しかし最近はSPA(=製造から小売りまで一貫して行うアパレルのビジネスモデル、Specialty store retailer of Private label Apparelの略)が主流です。
夏目:商品開発力は、SPAのほうが断然強い、と言われますね。確かに「シャワークリーンスーツ」も、材料供給側の協力があって生まれた商品ですし。
湖中:関係が緊密でなければできない商品ばかりです。シャワークリーンスーツも、我々がどう縫製するのかを「ザ・ウールマーク・カンパニー」の技術者の方に見ていただかなければ、できなかったと思います。工場だって同じ。絆が深くなければいいものはつくれませんし、だからこそ、顔が見える関係を築き、絆を深められそうな企業さんと付き合っています。例えば当社の工場はいま、100%、私どもの商品を縫っていただいているところばかり。これにより、あとでお話ししたいんですが――常識では考えられない技術革新も生まれています。
縫製工場縫製工場の中で、オーダー生地はこのように保管されている。
夏目:どの業界でも同じですが、一社でできることはすべてやりつくしている場合が多いですね。例えばアサヒビールさんの"マイナス2度のスーパードライ"も、冷蔵技術を持つ企業の技術革新があって生まれた人気商品ですし......。
ちなみに湖中さんは、どうやって絆を深くされているんですか?
湖中:足です(笑)。工場に幾度も通い、自分の目で見て、機械が動いているまさにその場所に立って、お客様や私どもの願いが叶うかどうか想像するんです。選球眼を鍛えるために必要なのは、結局「経験」以外にないと思います。私が商品本部長だった頃はちょうど、生産を国内から海外にスイングしていく時期だったため、毎月10日近くは中国や東南アジアで工場を見ていました。じつは工場も、移り変わりが激しいんですよ。しかし経験を積むと、今の姿だけでなく、数ヵ月後、数年後にどうなるかもわかるようになってきます。これが私の最大の財産(笑)。また、人脈も財産ですね。工場の方との絆があれば「こういうことをやりたいんですが」と相談したとき、ただ「できない」ではなく「じゃあこの工場を紹介しようか」と言ってくれることもあります。
夏目:なんでもネットで済む時代だからこそ、会って話すと印象に残るのかもしれませんね。
湖中:今もよく海外に行きますよ。世界に二つとないほど風合いがいいコートも、その結果開発できました。私がニュージーランドの田舎の牧場を訪ねたとき、なんと15マイクロン(糸の細さの単位)のウールがあったんです。羊毛は細いほど風合いがよく、従来は高級品でも18~20マイクロンだから目をみはりました。しかも毛足が長いから、保温性が圧倒的にいい。糸が細すぎて繊細なため、長時間着るスーツには向いていないので、コートをつくって「リミテッドプレミアム」という名で販売しています。牧場主のトニーさんは、独りで羊の改良を行ってきた方で、私が訪ねるとこう言いました。「キミ、やっと来たか。この羊毛の価値がわかって、使いこなせる人物が来るのを待っていたんだよ!」と――思わず感動しましたね。
そんな、顔が見える関係があるから、貴重な羊毛を譲っていただけるのです。だから私は今もよくニュージーランドを訪ね、トニーさん一家と一緒に台所のテーブルを囲み、お子さんの成長を楽しみにするほど親密な関係を持っています。息子さんや娘さんがトニーさんの技術を受け継ぎ、引き続き牧場を経営してくれれば、私たちとしてもうれしいですしね。
夏目:こうして世界中と絆で結びついた企業が技術革新を実現する......考えてみれば当たり前の話かもしれませんね。時に湖中さんは、やっぱりトニーさんのような方と食事をする時もメチャメチャ召し上がるんですか?
湖中:そうですね、先方が驚いて、私を覚えてくださるくらいは食べますね。さすがに羊1頭というわけにはいきませんが......(笑)。
夏目:あの、湖中さんって絶対、大食いを経営に活かしてますよね?
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