2024.06.12

女性が働くのは「腰掛け」と呼ばれていた時代の新卒入社で、ついに社長へ。中島明美さんが直面してきた「壁」はなんだったのか?|Across the Border ~見えざる壁を越えて~ vol.1

「私が入社した1988年当時、女性社員にだけ『給茶機当番』があてがわれていました。おかしいぞ、と思って『やらない』と意思表示したんです」

「結婚した時、旧姓使用を認めてほしくて、社長に直談判しに行ってしまったことも......上長が呆れて、あとで言われました。『あのなぁ中島。会社には順番や段取りというものがあるんだ』って」

破天荒なエピソードを次々とお話ししてくださったのは、株式会社オリコム代表取締役社長の中島明美さん。2023年、同社100年の歴史の中で、女性のプロパー社員として初めて社長に就任しました。

講談社C-stationの新連載「Across the Border ~見えざる壁を越えて~」では、現代社会に存在する「見えざる壁」を越えるため、各領域でさまざまなチャレンジを続ける人々を取材します。

インタビュアーは、講談社入社5年目の張蕾。彼女自身もまた、日々の生活の中で様々な壁を感じ、それを乗り越えようとしている一人です。各領域で活躍している先輩に話を聞くことで、壁を乗り越えるための「ヒント」を読者のみなさまと一緒に得たい、という思いでこの企画に携わります。

これまでの常識が通用しなくなっている現代でもなお、私たちは往々にして、無意識の偏見や、現状維持バイアスが色濃く残る状況に直面することがあります。変わる社会と、変わらない常識。その間で時にもがきながら、道を切り開いてきた中島さんのこれまでと、未来へのメッセージを、張蕾が伺います。

中島明美(写真左)/株式会社オリコム代表取締役社長 
東京都墨田区出身。新潟大学法学部出身。1988年4月にオリコミ(現オリコム)入社。企画制作本部コミュニケーションデザイン局長、企画制作本部長を経て、2017年から取締役。統合プランニング本部長を兼務し、2023年4月より社長に就任。

張蕾(写真右)/講談社メディアプラットフォーム部 
中国・西安出身。日本の大学・大学院を経て、2020年コロナ禍に講談社に新卒入社。広告部署に配属となり、以降、運用型広告を始めとするデジタル広告を中心に担務。今回が初めてのインタビュー。

職場の人たちはみんな本当にいい人だった。でも......

張蕾(以下・張):冒頭の、お茶当番のエピソードをぜひもっとお伺いしたいです。そんな時代があったんですね......

中島明美社長(以下・中島):当時は雇用機会均等法の施行から3年目だったんです。私は、一緒に総合職で入社した同期の男性は「お茶当番」をやってないってことに気がついて、「なんでお前らやってないんだよ」「私は仕事したくてもできないのに」と噛みついちゃった。すると、言われた男性社員たちも困った感じで、「俺たちは何も聞いてない」と言う。

給茶機を掃除して、茶葉とお湯を足して......って、朝と晩にそれぞれけっこうな時間がかかるわけですよ。人事部に物申しに行ったら、「それは制度ではなくて職場の『慣わし』」だと言われました。

張:そういうルールって、「差別したいから」などという明確な意識があるわけではなくて、なんとなく「そういうものだから」と存在してしまっている感じですよね。

中島:そうなんです、まさにアンコンシャスバイアスと呼ばれるものですよね。職場の人たちは、みんな本当に良い人たちなんですよ。悪意があるわけではなくて、ただその謎のルールがあることに疑いを持っていないだけ。おかしいだろうと思うと、言わずにはおれない性質(たち)なので、私はそのたび声を上げてきたと思います。人事部も、いきなり新人が文句を言いにきたから「面倒くさい奴が来たぞ」と思っていたかもしれない(笑)。

その後時間が経って結婚した時も、お客さんや周囲に言うのも面倒だし回覧が回るのも照れくさいし......旧姓を使用したいと、「旧姓使用のお願い」って文書作って、社長に直接持っていっちゃいました(笑)。これが効いたのかどうかはわかりません。採用されたのは翌年で私は間に合わなくて、しかもその後離婚したので、また名前を旧姓に戻したんです。そうなるとまた回覧が回るから、社内にも取引先にも言わねばならず、その度に気まずい思いをしました(笑)。

名刺を持っていない女性の社員たちがいた

張:給茶機当番は、結局「やらない」という決断をされたということで、素朴な疑問なのですが、中島さんがやめたそのお仕事は、誰が代わりにやるようになるんですか?

中島:結局、一般職の女性たちがやるんです。それも変な話ですよね。自分が抜ければそれで良いのか、というと当然違うわけで。でも当時は自分の「おかしい!」っていう怒りが勝っていたので、そこまでの周囲への洞察は持てていなかったように思います。

私はそんな感じで、ずっと会社の中の「異端児」だったのですが、去年社長に就任した時、当時一般職としてその様子を見ていた元社員の女性からお手紙をいただいて。「そういうあなたの姿がずっと好きで、励みになっていました」とあった。あ、単に嫌なやつと思われてはいなかったんだと、とても嬉しかったです。

当時、一般職の女性たちを取り巻く環境に関しては、今振り返れば「おかしなことだな」と思うことがたくさんあります。お取引先に行くと、名刺交換をしますよね。そしたらその中に、女性の社員で名刺がない人がいるんですよ。それか、ひとまわり小さくて角が丸い名刺を持っている女性。

張:それは、一般職だから、ということですか?

中島:おそらく。でも、打ち合わせに出ていらっしゃるくらいだから、ちゃんとお仕事をされているんです。わざわざ別のサイズの名刺を作るなんて、そんなコストがかかることをしてまで序列をつけるのか、とびっくりしたんですけど、クライアントさんだから聞くに聞けず......。

おかしいと思ったことは言っちゃう子どもだった

張:今だと考えられないですね。そういう常識が浸透していた中で、恐れず声をあげ続け、風穴を開けてきた中島さんのメンタリティは、やっぱりすごいと思います。みんなはおかしいと思ってないけど、自分はおかしいと思うことに声を上げるのって、すごく勇気がいることじゃないですか。子どもの頃から、「勇気がある子」という感じでいらしたんですか?

中島:まあ、鉄砲玉みたいな。私の実家は東京の下町で和菓子屋をやってたんです。当時の商店というのは、商いも暮らしも渾然一体となっていて、そこでは当然母が父と一緒になって対等に働いている。だから、当時のいわゆる「サラリーマンの父と、専業主婦の母」みたいな構図をあまり知らなくて、女は働いて当然だという考え方でした。近所の人もそうでしたから。

結構以前からおかしいと思ったことは言っちゃう子どもだったと思います。中学生の時、卒業アルバム委員だったんですけど、アルバムの名簿で男子の方が女子よりも先だったから「並びの意味がわからない」と、うちのクラスだけ男女逆に並べてみました(笑)。今思うと、何も言わない周りも偉かった(笑)。

張:当時から! すごい。

中島:中学時代、女の子たちからのあだ名は、なぜか「パパ」。

張:頼り甲斐があるという意味なのでしょうね(笑)。ご実家が和菓子屋さんの子どもとして、後を継がなければならないプレッシャーはあったんですか?

中島:いえ、老舗の和菓子屋さんならまだしも、父が暖簾分けで当代で始めた店でしたし、職人はもう食えないから、お前たちは大学に行け、という感じでした。だから、稼げる人間になろうという打算的な戦略が中高生の頃からあって、法学部にしようと。でも、お金がなくて国立しか行けないからということで、入学できたのが新潟大学の法学部でした。結果的に、縁もゆかりもない新潟で、思い出深い4年になりましたが。

そういえば、私は国立に行くために無理して5教科7科目頑張ったけど、弟は都内の私立大学なんです!(笑) それも今思うと変な話。

理不尽なことがたくさんある中で、支えになったもの

張:法学部ということは、弁護士を目指していたとか?

中島:かなりふんわりした夢でしたが、弁護士などのちゃんとした資格を得られる仕事だったら、男女平等に働けるかもしれない、と思っていました。安易に(笑)。

当時は、女子が四大に行くということがかなり珍しい時代。私の高校は都立の進学校でしたが、自分よりも頭がいい女子が短大に行く選択をしていました。まだまだ女が働くのは結婚までの「腰掛け」と言われていたくらいです。自分の目指していることと、世間の常識との間にずいぶんギャップがあるということに、ようやく、ぼんやり気づいていました。

張:法学部は、女子比率が少なそう......

中島:多分200人くらいいたけれど、女子は1割くらい。そして東京出身は私だけ。しかも冬は講義に来ないし、下町育ちで口が悪い(笑)。新潟大学を出たら、県内の有力企業か県庁に行くのがステータスという環境だったから、私の存在はかなり浮いていたと思います。

張:法学部からオリコムという広告会社への就職に至ったのには、どのような経緯があったのでしょうか?

中島:働きたくて選んだものの、実際、法律の勉強は自分に合わない、と痛感しました。改めて一般企業に就職しようと思って就活を始めたんですが、バブルの頃とは言え女子の就活は厳しかったですね。まず、企業から届く求人の数が男子と女子で雲泥の差なんです。OB・OG訪問などの情報にも圧倒的な格差がありました。

とはいえ私は無鉄砲に会社を訪問するのですが、ある広告会社ではっきりと「四大卒の女子は採らないから」と言われたこともありました。一方で、お茶を出してくれてお話を真摯に聞いてくださった広告会社もあって。オリコムの他にもう一社、流通系で受かっていた企業があったのですが、そこへ内定辞退の連絡をしたら、人事部長がわざわざ手紙をくださって、「もしまたご縁があって一緒に働く機会があったら嬉しい」「頑張って」とありました。嬉しかったですね。その手紙、今でも取ってあります。

理不尽なこともたくさんありましたけど、そんなふうに真摯に接してくれた人たちもいました。本当に、人と人とのご縁だと思います。結局、オリコムに拾ってもらったのもご縁だったんだと思います。

過酷な仕事と育児の両立。自転車操業でやりくり

張:広告業界は、今でも長時間労働というイメージが強いですし、当時はなおさらですよね。そんな中で女性の社員として「働き続けた」ということがまずすごいですし、社長になられていることもすごい。

中島:出世したい、っていう気持ちはなかったんです。広告会社に入る時にも、「社会を変えたい」みたいな大それたことを考えていたわけではなく、クリエイティブの力で、クスッと笑えるような、世の中を少し柔らかくするものが生み出せないかな、という思いがあって。

でも、キャリアを積むごとにどんどん仕事は楽しくなる。負けず嫌いな性格が功を奏したか、お客様に対してもチームに対しても懐に飛び込んで、信頼関係を築き、仕事を任せていただきました。育休1年とって復帰したとき、社内の営業が自分の上司に「また中島にお願いしたい」と言ってくれて、それはもう、本当にうれしかった。

ポジションが上がると視野が変わるので、より高いレベルで仕事に取り組めることも楽しかったんですよね。

張:子育てとの両立もされていたんですね。仕事と子育てのバランスを取るのは難しかったのではないでしょうか......

中島:大変でしたよ! 妊娠しているときは移動が辛くて、世の中って、24時間働ける頑強な若い男のためにできているんだな、とつくづく思いました。

いざ生まれたら、保育園に迎えに行って子どもを寝かしてから夜中まで仕事をする日々です。子どもと一緒に自分も寝てから、3時、4時に起きて仕事をすることもありました。本当に自転車操業ですよ。

保育園のお迎えが刻々と迫る中で働いているときに、隣でだらだらと喋りながら仕事をしていた社員に怒鳴ってしまったこともありました。その時は管理職でもなんでもなかったんですけど(笑)。「すいませ〜ん、俺らうるさいですよね」とかふざけた感じで声をかけられたので、「ああ、うるさいよ!!」と。大人げなかった(笑)。今は本当に反省しています。

そして、子育てと仕事を両方やっていけるよう、私が働き続けることに理解のある人と結婚したはずなのですが、結局、離婚するのが人生の面白いところです(笑)。ここはもう、自分の力不足ですね。

個の力を最大化するマネジメントのために、挑みたい

張:今、男性でも育休を取る人が増えていて、仕事と育児を両立することが求められるようになってきました。依然として育児の負担が女性に偏りがちな中、注目すべき変化だと思います。でも、長時間労働を前提とした働き方が抜本的に変わらないので、女性も男性も両方が疲弊してしまう......という現状があると思います。

中島:そうなんです、世の中は大きく変わっています。だから、社長になった立場から会社のことに関して言うと、一人一人をしっかりと見て、個の力を最大化して成果が出せる会社の形を求めていきたい、と強く思うんですよ。そこに男も女もない。

弊社のような規模感だからこそ、変化の兆しをうまく掴み取れるんじゃないかと思っています。それは、社員に対しても、お客様に対しても同じこと。生活者の今の気分をどれくらい解像度高く捉え、そしてどれくらい深掘りできるかが問われています。会社で大事にすることを、そのままビジネスの強みにもしたいんです。

例えば、昔の広告業界は飲み会でコンパニオンを呼ぶ、泊まりで親睦旅行に行ったら酔って脱ぐ奴がいる、みたいなのは珍しくなかった。それで「みんなが喜ぶ」という仲間内のコミュニケーションが成立していたんです。でも、ドン引きした女性がたくさんいたはずです。ハラスメントに遭って仕事を辞めざるを得なかった人たちもいたと思う。男性も、みんながみんなキャバクラに連れて行かれて喜ぶわけじゃないですよね。

私たちの世代は、その感覚のギャップが課題なんです。今はそういう時代じゃないよ、という話になると、みんな「じゃあもう飲み会に(若手を)連れていきません」なんて極端なことを言い出す。働き方やハラスメントに関して、「基準を決めてくれ」と管理職からも言われるんですよ。個人個人を見るって簡単なことじゃないから、今の管理職はとても大変。でも、校則じゃないから(笑)。そこはがんばろう、って。

コミュニケーションを生業にするからこそ、会社の中も一人ひとりを「個人」として見て、一番いい形を模索していくことに時間をかけなきゃいけない。どれだけ力をつくしても正解には辿り着けないかもしれない。なんで私が社長をやらせてもらえているのかな、と、今でもたまに思うことがあるのですが、会社の仕組みもわからない異端児だったからこそできることはあるのかもな、と。きっと、そういう努力をしていくことが、社長としての私の使命なんでしょうね。

炎上を避けようとするほどに広告はつまらなくなる。どうする?

張:私は今年で社会人5年目になりますが、中島さんのおっしゃっている以前の広告業界のお話をお伺いすると、広告と生活者の取り巻く環境は大きく変わったと改めて感じました。この環境の変化についてどう思われるのでしょうか?

中島:本質的なことは、あまり変わっていないかもしれない、とも思います。ただ今は、データでいろんなことが浮き彫りになるので、結果が見えてしまう。マーケティングの起点が生活者になった今、代理店都合やクライアント目線でない、生活者の本当の気持ちを探し当てることが大事だなと。生活者をちゃんと見る努力を怠ると成果につながりません。

例えば、弊社は交通広告に強い、とよく言われるのですが、「電車に乗っている人の気持ち」みたいに限定的なところから入ってしまうと、ステレオタイプに邪魔されて、見えないことがたくさん出てくるかもしれない。暮らしの中で、電車に乗る時間はほんの一部。生活の丸ごとを眺めながら、その場所や時間の意味を考えていく。解釈の方法やアプローチを広げて、目線を今までよりも高くしないと辿り着けないコミュニケーションがあるはずです。

そういう方法は手間も時間もコストがかかる、と敬遠されてしまう現状も否めません。広告効果が叫ばれている中、効率論が求められるジレンマもあります。その中でも、少しでもより良い方向に行くために試行錯誤していきたいですね。

張:オリコムさんは今、ジェンダーバイアス測定基準「GEM®」を企業に向け提供されています。中島社長のお話を伺って、そのお取り組みの意義も改めて理解することができたように思います。ステレオタイプを疑うことの大切さですよね。

広告コミュニケーション活動におけるジェンダーバイアスの測定基準「GEM®」 2023年に株式会社オリコムが、調査推進担当として日本における「GEM®」を推進

中島:「GEM®」は、弊社のお取引の中でご縁があってお取り扱いすることになりました。広告に出てくる人物に対してジェンダーバイアスがないかを計ることができるサービスですが、日本で実施できるのは当社だけです。

まさに、広告表現に潜んでいる固定観念やステレオタイプをあぶり出し、思い込みから解放されたコミュニケーションを組み立てていきたいですね。

今、ジェンダーの描き方に関する炎上は大きく注目されますが、大事なのは、炎上にどう向き合うかだと私は思うんです。炎上を避ければ避けるほど、コミュニケーション自体はつまらなくなってしまい、広告の存在価値がなくなってしまう。伝えたいことを伝えたい相手にしっかり届けるために、クライアントと生活者を結び付けるのが当社の役割です。この息苦しい世の中を、自由に冒険するための一つの指標として、ジェンダーというテーマに関しては「GEM®」があると思っていただければ。

声を上げないと、無かったことにされてしまう

張:お話をお伺いしていると、子ども時代から現在に至るまで、中島さんには一貫した思いがあるように感じます。いちマーケターとしても、経営者としても、ぶれていない。

私は中国出身で、大学時代から日本にいるのですが、「空気を読む」という日本の独特な表現があるほど、「見えない圧力」が漂っている状況をよく目にする気がしています。でも、その圧力に屈しない中島さんの突破力、とても勉強になりました。

中島:いや、私はもっと空気を読んだほうが良いかもしれないんだけれど(笑)。たぶん、怒りのパワーで荒ぶっていただけです。

張:私、空気読めないってたまに言われるんです。典型的なO型というか。

中島:あら、私もO型。いや、でも、「おかしいな」と思ったことはどんどん言っていかないと。じゃないと「無いこと」にされてしまうじゃないですか。声を上げるっていうのは、本当に大事なんですよ。

張:とても背中を押された気がします!今まで、声を上げるかどうか忖度があったときに、都合よく「外国人だから空気が読めない」というエクスキューズを枕詞として入れていたのですが、どんどん声に出していこうと思います。

結局、中島さんが超えてきた「壁」の正体はなんだったのか?

張:最後になりますが、この連載は「Across the Border ~見えざる壁を越えて~」というタイトルなのですが、中島さんが体当たりで挑んできたステレオタイプというものはまさに「見えざる壁」だと思います。

改めて、中島社長が「見えざる壁」を越えるために大事にしていたことを伺っても良いでしょうか。ズバリ、中島さんにとっての「Across the Border」とは?

中島:そうですね、一言で言うのが難しいのですが......

まずは、「壁を疑え」ですかね。自分が戦うべき敵だと思っていた相手、つまり「壁」には、その中にいつも共感者や仲間がいました。新人の頃から、そういえばあのおじさんがフォローしてくれた、あのお兄さんが助けてくれた、という思い出がけっこうあるんです。

「壁を疑え」は、別の言い方をすると、「壁に近づく勇気を持つこと」なのかもしれません。よくよく観察してみると、意外なところに味方がいたりとか、意味が隠れていたりとか、いろんなことが見えてくる。経験を積むと、壁が自分の中にも存在していたと気づくこともあります。

張:自分の中で無意識に持ってしまっているステレオタイプも、捨てていく努力が必要ですもんね。

中島:そうですね。壁を壁と思わずに、近づくことで何かを見つける。で、思い込みを超えていく。「一つでも多くの良い関係を創る」ことを大事にしたいのが私たちの会社の理念なので、人をしっかりと見たコミュニケーションで、クライアントと生活者、世の中を結び付けることにこだわりたい。社員と一丸となってこれからも頑張っていきたいなと思います。

インタビューを終えて―

張:中島社長のお話を伺い、自分に真摯に接してはじめて、人に真摯に接することができると改めて思いました。女性だから控えめの方がいい、仕事に対してアグレッシブになるのはなぜか恥ずかしい。会社での肩書きがまだ低いからと遠慮して、理不尽だと感じても先輩や上司相手に伝えられない。

上記のような性別、肩書き、年齢など、日常の中で「壁」だと思われるものは多いです。

ただ、壁を越えようとする以前に、壁だという先入観を持たず、自分の本当にしたいこと、言いたいことを、勇気を出して貫くことが重要なのだと感じました。

撮影/西田香織 取材・文/清藤千秋 編集・コーディネート/張蕾・丸田健介(講談社C-station)

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