ブランドの認知度アップを狙い、多くの企業でアニメIPを活用したプロモーションが行われている昨今。日本のアニメIPの人気は世界でも根強く、そのマーケットは依然、拡大中だ。そんななか、日本の産業機械メーカーであるヤンマーホールディングスが、完全オリジナルの商業アニメ作品を公開することを発表。このプロジェクトにおけるブランド戦略とは? 仕掛け人の同社 取締役 ブランド部長(CBO)の長屋明浩氏に、話を聞いた。
北米最大のアニメ祭典「Anime Expo」で、自社アニメIPの巨大ロボットを世界に先駆けてお披露目
ヤンマーが、オリジナルの商業アニメを制作・プロデュースすることを大々的に発表したのは、2023年6月。アメリカ・ロサンゼルスで7月に開催された北米最大級のアニメイベント「Anime Expo(アニメ・エキスポ)」にも出展した。作品名は、『未ル(ミル)』。完全オリジナル作品だ。
「Anime Expo」のロビーでは、同作に登場するロボットの巨大スタチュー(立像)がひときわ目を引いた。その高さは約3.4mほど。ビジュアル的なインパクトとともに、多くの驚きの声が上がった。
世界の人気商業アニメ作品の展示が並ぶなかで、アニメ業界では全く名が知られていない日本の産業機械メーカーが、なぜアニメ制作に取り組むのか。そして、このユニークなフォルムをしたロボットは何を意味するのか。
「Anime Expo」会場入口に設置された『未ル』に登場するロボットのスタチュー
両腕のほか、背中から6本のアームが伸びる特徴的なデザイン
「単なるプロモーション映像ではなく、商業アニメとしてもヒットを狙う」と語るのは、2022年からヤンマーに加わった取締役 ブランド部長(CBO)の長屋明浩氏。トヨタ自動車で初代レクサスのブランドを立ち上げ、その後もヤマハ発動機でブランドマーケティングに携わるなど、ブランディングにおけるキーマンの一人だ。
長屋明浩氏/ヤンマーホールディングス株式会社 取締役 ブランド部長(CBO)
トヨタ自動車に30年勤務、レクサスブランド企画室長、トヨタデザイン部長、子会社社長を歴任。その後ヤマハ発動機に移籍。クリエイティブ本部長として全商品デザイン開発とグローバルブランディングを8年担当し、同様のニーズからヤンマーに転籍、2022年から現職。
長屋氏曰く、「『未ル』を制作したのは、アニメの力で、ヤンマーと接点がないあらゆる層から、特に海外でのブランドの認知度を上げたいから」。ブランドのイメージの哲学と完全に一致するアニメを世に放ち、本気で世界に仕掛けていくのだという。
さらに、「アニメのタイトル『未ル』とは、「未来をつくる」という意味の造語です。人に役立つ製品をつくってきたヤンマーが、どんな未来を描くことができるのか。その想いを、ビジュアルとストーリーに託し、さらに、製品とリンクさせたロボットデザインを考えています」と語る。
作中、ロボットは人を助ける存在として重要な役割を果たすが、主人公はあくまで人だという。人がロボットに助けられながら仲間と協力して、理想の未来を切り拓いていくストーリー になる構想だ。
『未ル』のキービジュアル Artwork by YKBX,(C)Yanmar 2023
『未ル』Concept Video YouTube|未ル Officialサイトより
建機や農機のパーツをアームに組み込み、ヤンマーのブランド哲学をIPに投影
「Anime Expo」でも多くの注目を浴びたロボットの独特なデザイン。背中から6本のアームが延びていて、アームの先端には建機や農機などヤンマー製品を思わせるパーツ(アタッチメント)が付いている。一方で、ボディ自体はロボットというよりも、人間に近いフォルムだ。筋肉を感じさせる手足。胸元には花のようなデザインも取り入れられ有機的で優しい印象で、その対比が美しい。
展示ブースでは、「スタチューのアームの先の装備がそれぞれ違うデザインが気に入った」「いつも見ているロボットと違う印象を受けた。パワースーツを着た人間のようにも感じられる」など、来場者から多くの反響があった。
このデザイン原案を生み出したのは、ヤンマーのブランド部デザイン室だ。普段は農機や建機のデザインをしているチームで、製品デザインと全く同じ考え方で、ロボットをデザインしたという。
同社ブランド部デザイン室によるロボットデザインの原案。当初から背中から伸びるアームが特徴的なのがわかる
「機械の本質は、人にとっては使いやすくて、目的を果たすためにシビアに動くもの。そして、この作品に登場するロボットは戦うための兵器ではなく、人に寄り添う存在として役割を果たします」と長屋氏。
確かに、同社の農機や建機は巨大で剛健なアタッチメントが使われる一方で、操縦部は人間工学に基づいた快適な空間設計がなされている。こういった自社製品と同じ思想やコンセプトでデザインされたのが、『未ル』のロボットなのだ。
原案をもとに作成したロボットのミニチュアモデル。Anime Expoで登場したものとすでに同様になっている。
ブランドの哲学を作中に盛り込むために、ロボットデザインのみならず、できるだけ多くの関係者が一緒になって試行錯誤して創り上げていくのが、同社のスタイルだ。ブランドから紐づく哲学、デザイン、製品、人、想いなど、あらゆるものをインクルーシブ(包括的)に連携させていく。 長屋氏はこれを「インクルーシブ・ブランディング」と呼んでいる。
また、たとえBtoBのビジネスだとしても、「これからのブランディングで大切なのは、社内、取引先、さらには一般消費者も巻き込み、共感する人をいかに多くつくるか。これまでは取引先だけに共感されればOKという時代でしたが、今は一般消費者が主役の時代。それも、多様な人とさまざまな連携をつくっていくことで、シナジー効果が生まれ、ブランドイメージが強固なものになっていきます」と力説する。
既存アニメIP『ヤン坊マー坊』の課題を解決するための、オリジナルアニメIP
アニメIPの中でも、オリジナルにこだわった背景には、ヤンマーのもう一つのアニメIP『ヤン坊マー坊』の存在がある。1959年にテレビ番組「ヤン坊マー坊天気予報」のキャラクターとして誕生した、30~40代以上ならおなじみのIPだ。
『ヤン坊マー坊』は、天気予報番組が終了した後もグッズのキャラクターとして活用されている
しかし、そんなIPにも課題があった。売上高1兆円超のヤンマーだが、2014年に「ヤン坊マー坊天気予報」が終了した後は「一般消費者のブランド認知度が、若い世代を中心に落ちている」という。
また、「そもそも、『ヤン坊マー坊』はブランドイメージに合わせてつくられたキャラクターではないんですよね。時代とともに少しずつリニューアルしてきたものの、今のヤンマーのブランドイメージとは完全には一致していないんです」と、長屋氏は語る。
『ヤン坊マー坊』の変遷
2022年にヤンマー入社後、「ブランドランキングを劇的に上げる」ことを目標に据えてきた長屋氏。グローバルのリーディングブランドと戦える、企業認知度を向上させるために選んだのが、一般消費者を含めた爆発的な周知力が見込めるアニメIPだったのだ。
オリジナルアニメIPを活用するアイデアは、「数ある企画案の中で、ダントツのインパクトがあったんですよね。会議は即決でした(笑)」とのこと。
「Anime Expo」の反応は"世界からの評価"。パネルセッションには200名超が参加
「Anime Expo」に出展したのは、世界に向けてピーアールしたいという理由もあるが、「海外での評価を確かめる実験の場という意味も強かった」と振り返る長屋氏。
数あるアニメイベントの中から「Anime Expo」を選んだのは、アメリカ最大規模のアニメイベントにして、日本のアニメに特化したものだからだ。2023年は約60ヵ国から約39万人を集客するほどの盛況ぶり。「日本のアニメに興味のあるファンが各国から集結するイベント。世界的に見ても大規模で、ここで得られた反応が、イコール、世界の反応だろうと判断しました」と語る。
スタチューは、会場入口の最も人が行き交う場所に設置された
「Anime Expo」で好感触があったのは冒頭でお伝えした通りだが、「実は、あれほどまでの熱気で迎え入れられると思わなかった」とのこと。アニメ制作会社や出版社が多く出展するなか、産業機械メーカーの出展は注目された。ビジュアルの完成度に驚かされた来場者も多く、ヤンマーのことを知らなかった海外のアニメファンの心をつかむことに成功した。
パネルセッションも行われ、興味や感心を抱く200名以上の海外アニメファンが参加
「日本のアニメが世界で高く評価されたのは、その芸術性の高さです。日本では「アニメは日常的にある子ども向けの娯楽」といったイメージがありますが、海外では「リスペクトすべき芸術・文化」と捉えられています。アーティスティックなビジュアル面だけではなく、テーマ性やストーリー展開も含めて、コンテンツそのものが非常に高く評価されているのを再確認しました。日本のアニメIPの優位性はちょっとやそっとでは崩れない強みだという確信が、さらに高まりましたね」(長屋氏)
アニメと現実がリンク!? 『未ル』の公開後にオリジナルIPを育てつづけさらなる共感を生む
『未ル』の公開後には、各所からはさまざまな反響があるだろう。それを見据えてヤンマーでは、『未ル』を自社製品のデザインにシンクロさせるなどの構想もあるという。まさに「インクルーシブ・ブランディング」により共感を生み、ブランド力を向上させるのが狙いだ。
「ブランド戦略は、製品とリンクをさせてこそ価値があると思っています。『未ル』のロボットデザインには、ヤンマーが理想とする造形的なイメージを全部入れ込んでいます。アニメを大ヒットさせた後に、「ロボットのデザインが、自社製品のパーツにシンクロしたら?」という展開は考えています。すでに世に出ている機械がアニメに登場することはよくありますが、その逆のパターンですね」(長屋氏)
加えて、ゆくゆくはキャラクターグッズの版権ビジネスにも取り組めるよう、「未ル」のIPは継続的に育てていく考えだ。
「ヤンマーには、『ヤン坊マー坊』や建機、農機など、すでにグッズ化している商品もあります。ただ現状はブランドプロダクトという位置づけで、自社で制作したものを販売している状態です。版権ビジネスはまだできていませんが、将来は自社IPが自分でお金を稼ぎに行けるようになるといい。アニメ公開後も、IPを継続的に育てていくことが大事だと考えています」(長屋氏)
建設機械なども、自社IPとして商品化。「ヤンマーミュージアム」や「YANMAR TOKYO(ヤンマー東京)」で販売している
さまざまなアイデアを、『未ル』に詰め込む長屋氏。最後に、ブランディングする際に心がけていることをお聞きした。
「既存の方法にとらわれずに、新しいやり方にチャレンジすること。常に「CHANGE& CHALLENGE」の精神でいたいですし、チャレンジする人たちも応援していきたいですね。発想の視点という意味では、「今までありそうでなかったもの」にビジネスチャンスが潜んでいると思っています。『未ル』にも、今までありそうでなかった仕掛けをたくさん組み込んでいるので、ぜひ注目してください」(長屋氏)
最新情報
「ヤン坊マー坊」の新デザインが一般投票でB案に決定!
投票は、ABCの3つの案から好きなデザインを投票する方法で行われた。長屋氏によると「A案は現『ヤン坊マー坊』のDNAが強いデザイン。C案が一番スマートなイメージで今のデザインと一番ギャップがあるかと思います。その中間がB案です」とのこと。
投票の結果、選ばれたのはB案。今後、『未ル』のほか、さまざまなメディアに登場する予定だ。
撮影/大坪尚人 インタビュー・文/佐藤理子(Playce) 編集・コーディネート/加藤大二郎(C-station)
加藤大二郎 エディター・コーディネーター
C-stationグループのBtoBコミックIP情報サイト「マンガIPサーチ」担当。