2020.10.29

「多様性の時代ならではのマンガの大きな役割」映画監督 三木孝浩 ──マンガから学んだことvol.5

数々のマンガを原作とした実写映画を世に送り届けてきた、映画監督の三木孝浩さん。「マンガと共に育ってきた」というほどの愛をあふれさせる三木監督は、映画制作に挑む上でもマンガから日々、背中を押されることがあるといいます。マンガが教えてくれたことやマンガ原作を実写化する醍醐味など、三木監督がマンガとの特別なつながりを明かしました。

映画監督 三木孝浩 1974年、徳島県出身。2000年より多数のミュージックビデオを監督し、2010年、映画『ソラニン』で長編監督デビュー。主な長編作品は、『僕等がいた』(12)、『ホットロード』(14)、『アオハライド』(14)、『くちびるに歌を』(15)、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(16)、『フォルトゥナの瞳』(19)、『思い、思われ、ふり、ふられ』(20)など。最新作『きみの瞳(め)が問いかけている』が現在公開中。

映画監督 三木孝浩 1974年、徳島県出身。2000年より多数のミュージックビデオを監督し、2010年、映画『ソラニン』で長編監督デビュー。主な長編作品は、『僕等がいた』(12)、『ホットロード』(14)、『アオハライド』(14)、『くちびるに歌を』(15)、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(16)、『フォルトゥナの瞳』(19)、『思い、思われ、ふり、ふられ』(20)など。最新作『きみの瞳(め)が問いかけている』が現在公開中。

マンガが最も身近なカルチャーだった「幼少期・思春期」

──大のマンガ好きだという三木監督。最初にハマったマンガを覚えていますか?

三木 記憶にないくらい、幼い頃からマンガを読んでいます(笑)。僕は1974年生まれですが、当時の小学生は、だいたいみんな「コミックボンボン」か「コロコロコミック」を読んでいて、僕はどちらかと言うと「コミックボンボン」派で。毎月、発売を楽しみにしていました。とりわけハマっていたのが、『プラモ狂四郎』。自分の作ったプラモデルをバーチャルで戦わせるという、今思うと時代の先駆けのようなところもあって、すごく面白かったですね。


プラモ狂四郎(1) 著:やまと 虹一 原作:クラフト団

──幼少期の三木監督にとって、マンガはどのような存在だったのでしょうか。

三木 徳島の田舎で育った僕としては、映画を観に行くにしても、映画館までは汽車に乗って1時間近くかけて行かなければならない。おいそれと観に行くわけにはいかないんですよね。となると、身近に触れられるカルチャーといえば、マンガかゲーム。幼少期、学生生活を振り返っても、いつもマンガがそばにありました。

──思春期に読んで、印象深いマンガを教えてください。

三木 衝撃的だったのは、中学生の頃に読んだ『AKIRA』です。その世界観にもハマりましたし、これまで読んできたマンガと一段、違う世界が描かれていると思いました。なにより驚いたのが、尋常じゃないほど緻密に描きこまれた絵のディテール。ビルのひび割れだけでも、ずっと見ていられるくらい細かい。大人になってから原画展も見に行きましたが、原画で見ると、さらにすごい迫力でしたね。

あと、弘兼憲史さんの『ハロー張りネズミ』も好きでした。ちょっと大人っぽいマンガが好きで、ませていたんですかね(笑)。オタク心というか、「オレは、こういうマンガも知っているぜ」とニヤッとしているような感じ。今だと「評価されているもの」「誰かが薦めているもの」などいろいろな情報源がありますが、その頃はインターネットもありませんから、主に"ジャケ買い"でマンガを買っていました。本屋さんに行って、面白そうなマンガを探す時間が、とにかくワクワクするもので。"ジャケ買い"して、内容も面白かったときは、思わずガッツポーズ! そうやって能動的に何かに触れようとすることも、とても大事な時間だったと思っています。

大学に入ってバイトをするようになり、少しお金に余裕が出てくると、週刊マンガはほぼ全部買っていました。その発売日で曜日を確認していたような感じで、完全にマンガは僕の生活の一部でした。

(左から)AKIRA(1) 著:大友 克洋/ハロー張りネズミ(1) 著:弘兼 憲史


マンガが教えてくれたこと「想像力の幅を広げてくれた」

──今も日々、マンガを読まれているそうですね。ストーリーや画力、キャラクターなど、どのような点にいちばん注目されていますか。

三木 僕は、ストーリーテリングに興味が向くことが多いです。あとは作り手のマインドの熱さ。その情熱に感動することが多いように思います。例えば、『バシズム』など日本橋ヨヲコさんの作品は、とにかく熱い! 日本橋ヨヲコさん、ご本人の熱量がすべてキャラクターに乗り移っているような気がするんです。セリフも一つ一つが熱く、読み手にもその熱量がビシビシと伝わってくるところが好きです。

また、岩明均さんも好きな漫画家さんですが、岩明さんのマンガは、キャラクターを通して「怒りの源とは?」「人を愛するとは?」など、学術的な分析ができるような面白さがあって。『ヒストリエ』でいうならば、ギリシャやローマ時代の倫理観と照らし合わせて、「人はどうあるべきなのか?」「人と社会の関わりとは?」ということが浮かび上がってくる。特に『雪の峠・剣の舞』は大好きで。歴史に埋もれてしまったような人に焦点を当てるなど、目の付けどころも面白いんです。いつもドキッとさせられるような、発見があります。

(左から)バシズム 日本橋ヨヲコ短扁集 著:日本橋 ヨヲコ/ヒストリエ(1) 著:岩明 均/雪の峠・剣の舞 著:岩明 均


そう考えると、クリエイターにはマンガに込めたそれぞれの想いがあるわけで。マンガを読んでいて楽しいことのひとつは、「この人はこういうことが描きたいんだ」というような、その方の情熱に触れられることかもしれません。

──幼少期からマンガを読み、作り手の情熱に触れてきた三木監督。マンガから学んだことがあるとすると、どんなことだと思われますか?

三木 想像の幅をどこまで広げられるのか、ということだと思います。生活の中で想像したり、妄想したりできる範囲って、やはり限られてくるもので。マンガを読んでいると、「想像力は一体どこまで到達できるのか?」という幅をグイグイと広げてくれるような感じがしています。マンガは、物語の可能性を感じさせてくれるメディアだなと思います。

また、物語の運び方や、人の心の動かし方なども、知らず知らずのうちにマンガから学んでいたように思います。マンガは音楽や映像的な動きがあるわけではないのに、読み手に大きな感動を与えることができる。「人の心を動かす本質はどこにあるんだろうか?」と考える上では、マンガはとても勉強になります。

もしも自分の人生にマンガがなかったら、僕はストーリーテリングの持つ魅力に気付けなかったかもしれないですね。物語は、こんなに人をワクワクさせたり、心を動かすことができたりするものなんだと教えてくれたのが、マンガだと思っています。

──クリエイターとしても、多大な影響を受けているのですね。

三木 本当にそう思います。ゼロからイチにする人の、産みの苦しみって相当なものだと思うんです。きっと地獄ですよ(笑)! そういう意味でいうと、映画監督の場合は、ツライとき、迷ったときには助けてくれる人がたくさんいるわけです。役者さんのお芝居や音楽、天気に助けられたりもしますから。映画は共同作業で、チームワークでできるもの。自分一人の力が足りなかったとしても、チームワークで作ることができるメディアなんです。

でもマンガは、基本的に一人で生み出される方が多いですよね。一人のクリエイターの力で、世界中を感動させることができるなんて、すごいですよ。それを感じるからこそ、僕は藤子不二雄Aさんの『まんが道』や、日本橋ヨヲコさんの『G戦場ヘヴンズドア』など、漫画家を題材にした作品も大好き。クリエイターご自身の苦しみ、情熱、それらすべてを込めて作品を描かれていると思うと、思わず泣けてくるんです。

マンガ原作の実写化にかける想い

──マンガを読んで、涙することもあるとのこと。号泣した思い出のあるマンガはありますか。

三木 こうの史代さんの『この世界の片隅に』です。声を出して泣いて、「あんなに泣いたマンガはないな」というくらい、号泣しました。すばらしいアニメとして映画化されましたが、アニメ化されるまでは、僕の中で「いつか映画化したいマンガ、ナンバーワン」でした。この作品を映画化できたら、どんなにすばらしいことかと思いました。『この世界の片隅に』も、マンガ家さんの情熱やクリエイティビティに震える作品。劇中では主人公のすずさんが右手を失うという展開がありますが、こうの先生も、すずさんが右手を失ってからは、左手で背景などを描かれているそうです。

そうやって命を削るようにして作品をつくられている方のマンガを読むと、「自分は映画をつくるときに、それだけの熱量で向き合えているのか?」と問われているような気もして。映画づくりで悩んだときは、情熱的なマンガを読んで「こんなことではいけない!」と自分を戒めたり、背中を押されたりすることも多いです。

──ご自身がマンガ原作を実写化する際にも、やはり原作者の方の想いを汲み取ることが大事になりますか。

三木 それが第一です。もちろんマンガと映画ではメディアが違うので、マンガならではの表現、映画だからこそできる表現も異なります。しかし、原作者さんが「こういうものを描きたい」「こういう想いを伝えたい」という"核"の部分は、失わないように映画化したいと思っています。だからこそ、「オレの映画にしてやる」という考えはまったくありません。原作者さんが大事にしたかったものを、映画というメディアで届けるためには、どのようにすべきかを考えていきます。

加えて、最初に原作を読んでグッときた、新鮮な感動が鈍らないようにすること。これが難しいところなんですが、あまり原作を読み込みすぎると、ディテールに走ってしまいそうになるわけです。すると、テーマがブレてしまう恐れもありますので、そこは気をつけないといけないなと思っています。

──マンガ原作を実写化する、楽しさを教えてください。

三木 マンガでは表現できない、役者の動き、音楽、そして"時の流れ"があることだと思います。マンガはそれぞれ読み手のリズムがありますが、映画ではこちらがリズムを作ることになる。お客さんを心地よくさせるような、スピード感やテンポ感を作り上げなくてはいけないわけです。また、役者さんが想像を超えたお芝居をされたときは、本当にうれしいです。それこそが現場の醍醐味ですし、監督冥利に尽きる瞬間ですね。


自分に問いかけできることも、マンガの大きな役割

──『ソラニン』(2010年公開)で長編映画監督デビューしてから、ちょうど10年になります。最新作『きみの瞳(め)が問いかけている』(講談社刊「小説 映画 きみの瞳が問いかけている」発売中)は、また新たな挑戦ができた作品になりましたか?

三木 運命に翻弄される二人の純愛を切なく描いたラブストーリーですが、アクションシーンを撮れたことも、新しい挑戦になりました。僕は少女漫画を映画化することが多いのですが、実は格闘技も大好きで。『はじめの一歩』とかも大好きなんですよ(笑)。本作では、横浜流星くんがキックボクサーとして、アクションを見せています。横浜くんは、中学時代に極真空手の世界大会で優勝したこともある人なので、ものすごく動ける。練習風景を見ているだけでも、「かっこいい!」とテンションが上がりました。撮影していても、めちゃくちゃ楽しかったですね。

はじめの一歩(1) 著:森川 ジョージ

吉高由里子さんとは『僕等がいた』以来8年ぶりのタッグになりますが、その間に吉高さんもいろいろな作品の主演をやられています。実は、吉高さんにとって本格的なラブストーリーは『僕等がいた』以来、久しぶりのこと。今またこのタイミングにラブストーリーでご一緒できたことにも、運命的なものを感じています。

10年続けてきて思うのは、「これしかやらない」「これはやらない」など選り好みするのではなく、受け皿を広くしておいた方が、いろいろな出会いに恵まれるチャンスがあるということ。出会いや縁の大切さを感じています。

──たくさんのマンガを読んできた三木監督。ここ最近の人気マンガの傾向について、感じることはありますか。

三木 例えば『鬼滅の刃』ならば、主人公の炭治郎の魅力はもちろん、鬼の過去や苦しみが描かれていることが人気のポイントのような気がするんです。単なる勧善懲悪ではない物語になっている。炭治郎も、鬼に出会ったときに「果たしてこの人は悪なのか?」と自分に問いながら生きている。

それは多様性の時代ならではなのかもしれませんが、思えば『風の谷のナウシカ』などでも、ナウシカは世界の善悪を自分に問いかけながら、生きていましたよね。そして読み手も、「果たして自分はどう思うのか?」と自分に問いかけることになる。そうやって問いを与えてくれるのも、マンガの大きな役割のような気がしています。

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