2019.10.09

こんなに面白い男性マンガの歴史(後編)ーバトルの膨張とインフレ化、その先で行き着いたマンガの新しい形

マンガ時評『マンガホニャララ』の執筆や、小学館漫画賞の選考委員を務めるブルボン小林さんが語る男性マンガ論。
1950〜60代の黎明期から現在まで、約70年にわたりたゆまぬ成長を続けてきた男性マンガ。その歴史をたどりながら考えると、名作や名キャラクターが、どのような時代の流れやニーズによって生まれてきたのかが明らかになってきます。

※この記事は2018年4月〜6月に掲載されたインタビューを再構成したものです。

ドラクエ(冒険)からスト2(バトル)へ

『AKIRA』後の青年マンガの本格化

『AKIRA』後の90年代の青年マンガで言えるのは、これまでの反動もあって本格的に、ホンカクホンカクしていったということ。

文学よりも売り上げははるかに上回り、出版社の屋台骨になっていたうえ、表現が深まってきた。少年マンガはまだ格闘とかやってるんだけども、『寄生獣』のように哲学者が激賞する作品もどんどん出てきた。

AKIRA 著:大友 克洋

新型爆弾により崩壊した近未来の東京。仲間たちとバイクで暴走を繰り返す不良少年・金田は、事故をきっかけに超能力に目覚めた親友の鉄雄の敵対に遭う。
事故の際に駆けつけた軍の幹部は鉄雄の超能力を目当てに動き出すが、その裏には、軍が極秘に封印していた最強の超能力者「アキラ」の存在があったー
日本のマンガの金字塔として国内外のさまざまな賞にも輝いた傑作。

寄生獣 著:岩明 均

人間の頭に寄生して人間を食べる「寄生生物」と、それと戦う「人間」を描く。
寄生生物に襲われ、右腕を奪われた高校生・泉新一は、徐々に寄生生物との共存の道を選んでいくが、他の寄生生物によって乗っ取られたパラサイトとの事件に巻き込まれていく。
意外性の高い設定、複雑なストーリーと展開、環境問題への問いかけ、哲学性などさまざまな要素を持ち、文学界からも絶賛された作品。


昔は、手塚治虫の『火の鳥』や『ブッダ』だけが、哲学的なことを言っているかのようなイメージがあった。実際、僕の子供時代は『はだしのゲン』と『ブッダ』と『火の鳥』だけが学校の図書室に置いていいマンガですよって、別格のように扱われていた。
それが、90年代後半にはだんだんと本格ホンカクしたシリアスな表現が増えていって、正直僕は息苦しさも感じてました。
マンガ自体の持つ運動っていうのかな。群れの大きな移動先が定まったらもう動かせないことのように、うねって、表現は高度に、深まっていった。

少年マンガとテレビゲームの影響

青年マンガが本格、本格しているあいだに、少年マンガはバトルがブームになる。マンガが影響を受けたものはいろいろとあるけど、そのひとつがテレビゲーム。
一番売れていたので『ドラゴンボール』の例になっちゃうけど、最初、七つの玉を集めると願いがかなうっていう、子供へのワンダーの見せ方は「冒険」だったんだよね。
その頃にちょうど、ファミコンブームがあった。大ヒット作が『スーパーマリオ』と『ドラゴンクエスト』なんだけど、まさに冒険なんですよ。その『ドラクエ』に鳥山明が関わっているというところが、また因果な話というか、当然そうなるっていうか。
『Dr.スランプ』のような話じゃなくて冒険を描くわけで、それはファミコンブームの熱気と呼応している。単純には言えないかもしれないが、少年マンガ全体のムードが冒険になった。

でも92年くらいから、『ドラクエ』も変わらず人気なんだけどゲームの一番人気は『ストリートファイター2』になるんですよ。そのことと『ドラゴンボール』がボカスカ格闘をし始めるっていうのは、すごくシンクロしている。
冒険から潮目が変わるというのかな。バトルマンガはもちろん80年代も人気だったけども、テレビゲームと歩調をあわせて、さらにバトルが増えていく。

少年バトルマンガと格闘ゲームブームの影響



そうするとバトルの醍醐味って、インフレに絶対なっていくわけだよね。でも、インフレ合戦はいつしか疲弊していくもので、『ドラゴンボール』もフリーザ編をピークに色あせる。


バトルインフレと「勝ち続ける」ことの終わり

また「ジャンプ」の例えになっちゃうんだけど、潮目が変わったのが『SLAM DUNK』。実は、僕は第1巻で読むのをやめてしまったんですよ。
いかにもアニメで神谷明が声をあてそうな、お調子者で自信があって、でも、女の子にはからっきし弱いっていう、「ジャンプ」の80年代の主人公たちの類型をそのまま当てはめたような桜木花道が出てきたのを見て、「ああ、またこのパターンか」と。でも、桜木は出鼻をくじかれるんだよね。もっとすごいやつらがいると、揉まれる話になった。

そのあたりから「ジャンプ」のムードも変わる。
『SLAM DUNK』で象徴的なのは、最後の激闘が2回戦ということ。2回戦で強豪との激闘を勝ち抜いて、3回戦でぼろ負けしたっていうモノローグで最終話になる。つまり、勝利を捨てた。『スト2』ブームの92年から4年後。「ジャンプ」600万部突破に貢献した『SLAM DUNK』のラストが、インフレ的な、ただ勝ち続けることの終わりをみせたっていうか。


少年、少女の区分がなくなった

草食化するキャラクターたち

そのあと揺り戻しのように、2000年以後、あるいは2010年代のマンガって、何でもありになったっていうのかな。少年と少女の区分もなくなってきた。「ジャンプ」は少年マンガだけど、いまは読者に女性がたくさんいますから。

そして、マンガの主人公も草食系になっていったわけですよ。お調子者で、女の子にロックオンして、すぐ鼻の下を伸ばしちゃうような主人公がいなくなった。
金田一少年の事件簿』の金田一少年が、まさに典型でね。2000年代にも清潔な顔のジャニーズタレントが実写ドラマ版で演じていたんだけども、パンチラやおっぱいを尊ぶ演技が、そこだけは違和感があってね(笑)。今の高校生って、そんなじゃないから。読めばいまだに面白いんだけど。

でも、そのシンボリックな描き方っていうものが、リアリティーがなくなった。同じバスケットマンガで、『SLAM DUNK』の後に「ジャンプ」で描かれた『黒子のバスケ』は、全員涼しい顔をしている。マネージャーはいるんだけど男勝りで、選手もその子にいいところを見せようみたいなのがない。
女性に好かれない表現っていうのがなくなりましたよね。ゴレンジャーでいうと、キレンジャーみたいなキャラクターがいなくなった。全員アカレンジャーかアオレンジャーみたいな顔でないと、表現ができない。

ヒーローからチーム男子へ

それとともに、ヒーローがチーム男子になってきた印象がある。全てのマンガがそうではないけれど、昔は主人公が1強になる傾向にあった。例えば『鉄腕アトム』は、アトムだけが七つの能力を持っていて、ウランちゃんやコバルトには能力がない。
いまのマンガは、主人公があらゆる能力を駆使して困難に立ち向かうものではなくなった。『黒子のバスケ』もそうだけど、分業制で「どのヒーローがお好みですか?」っていうふうになっている。

少年・青年マンガにおけるヒーロー像の移り変わり


講談社だと、『おおきく振りかぶって』もそうだよね。表現が緻密になっていった以後の、魔球でやっつける野球マンガじゃなくなったっていう意味でもそうだし、メンバー全員に協調性がある。チーム男子だけど無個性じゃない。全員にちゃんと個性が振り分けられている。
マンガ的な醍醐味としては、ちょっとずつキャラに誇張があるわけ。ものすごいコントロールがいいけど、すごい弱気で自信がない、みたいなさ。
必殺技がない時代だけども、現実にはそんなにコントロールのいい選手はいないから、そこはマンガっていうものを駆使している。でも、女房役の男の子とか、ちびっ子のスラッガーとか、ちょっとずつの微差の個性ですよね。微差だけど繊細に描くことで、無個性で誰が誰だか分からないということはない。
ヒーローでなくても、例えばギャグマンガの『監獄学園』も、笑わせる役が入れ替わり立ち替わりになっていて、みんなに個性がある。仲が良いんですよね。

バナー広告でヒットするマンガの是非

僕は、マンガ喫茶ですごく無作為にマンガを読むんですよ。あれとあれは読まなきゃというマンガをまず押さえたら、新刊コーナーでジャケ買いじゃないけど、気になったものを手に取る。
そうすると、何かノリがおかしいというか、どのマンガにも似たテイストを感じる。
調べると、ネットのバナー広告をクリックさせるのに力を入れてきたマンガが、すごく多いんだよね。SNSでバズりやすいマンガというか、コンパクトに面白さが言える作品が増えた印象がある。
「いまから殺し合いをしてもらいます」的なマンガが妙に増えてるのも、バナーの少ない情報量で引き込めるからでしょう。試し読みで殺し合いが始まったほうがわかりやすいというか。

僕は最新のものについていくのが遅いから、マンガの世界のドラスティックに変わっていく感じをつかみ損ねてるかもしれない。でも、バナーがヒットと関係しているのは確か。バナーで気になる言葉を言えたマンガが、売れるマンガとも言える。
ちょっと前の、「うわ......私の年収、低すぎ......?」的なマンガというか。そういう、誰もが思い当たる節みたいなことを持っているマンガがバズっていく。そればかりでもないんだけど、気が付いたら、かなりマンガの棚を占めている。

初出がウェブで、何万アクセスとか何万リツイートとかの実績を積み上げると出版社からオファーが来て紙版を出すみたいなことも、ここ数年で増えた。
バナーで興味を持たせるのは構わないんだけども、出オチというか、そこがピークになっちゃうマンガばかりになってはよくないなと、危惧っていうと大げさだけども思います。
マンガは、次回に興味をもたせる「引き」というテクニックを大事にしてきてるけど、読書って、引きだけではない。残るのはそのテクニックと無関係でしょう。
バナーで興味をそそったとしても、それから先に、豊かなものを描いてほしいですよね。

商品訴求にマンガとのコラボを選ぶポイントは

楽しくなければ意味がない。ダジャレや悪ノリも歓迎

思い出すのが、昔やっていたフェザーのカミソリのコマーシャル。
はじめの一歩』を起用していたんだけど、あれは一歩がフェザー級だからだと思うし、つまりダジャレなんですよ。
フェザーに限らず、テレビのコマーシャルって、シャレみたいなくだらないことでもヒットする。

もちろん、『はじめの一歩』がこれこれの世代に読まれているとか、ちょうど髭をそる若者世代に訴求するとかいうマーケティング的な言葉が、会議で出されたとは思う。
それも込みでゴーサインが出たに決まっているけれども、「こう訴求します」じゃなくて、「フェザー級で会社名がフェザー」っていうところがポイントじゃないと面白くない。でないと印象に残らない。入り口がマーケティングで始めちゃ、マンガの甲斐がないっていうのかな。

マンガって、どんなにシリアスなものでもどこかにデフォルメとか誇張がある。人間の手で描いた線で、デジタルでも指で動かした線で、誇張して描く。つまり、その誇張というのは、必ず現実よりも滑稽だったり、過激だったりする。そうでなきゃ、現実をやりゃいいわけだから。
ダジャレというか、現実よりくだらないっていうか、それを大事にしてほしいよね。もしコマーシャルみたいな場所でマンガを使うのであれば、やる側が悪ノリしているとか、マンガのように考えないと。

「マンガのように」っていうのは、マンガの筋のようにではなくて、現実より弾んでいたり、過激だったり、滑稽だったり、くだらなかったりっていうこと。マンガのように考えないと楽しくないし、マンガを使う意味がない。マーケティングは2番手、3番手の保険のようなものでいい。

マンガ家の作画力は、もっと評価されていい

あと思うのは「マンガ家はもっとテレビに出たらいいのに」ということ。テレビCMの15秒じゃ難しいけども、マンガ家が人気キャラクターを描くと、誰もが「おおっ!」ってなるから。

身近なマンガ家さんと飲んでいると、急に「それってこういうこと?」って、落書きのように何か描き始めることがある。そうすると、それまでの会話は忘れて、みんな「うわーっ!」と絵で大盛り上がりになる。
マンガ家が大したことと思っていないところに、実はものすごい価値があるから、それを使わない手はないよね。

プロのマンガ家たちの「描く」っていうことの感動のポイントは、出来上がった絵が上手いのはもちろんなんだけど、その絵を描くのが早いってことでね。『ゲゲゲの女房』とか『バクマン。』とか、マンガ家がモデルの作品で映像化されたものがあるけど、一番ネックになっているのは、マンガ家じゃない役者は、絵が遅いんだよ。
『ゲゲゲの女房』でも一生懸命、こういうふうに描いたら水木しげるっぽくなるみたいなシーンをやるんだけど、描き終えるまでがどうしても、もったりしてて、そこに感動がない。
『バクマン。』でも、一番重要な場面で代役を立てずに佐藤健が絵を描いていて、それ自体はすごく頑張ったと思ってるんだよね。なにげないけど大事な輪郭を描かなきゃいけなくて、「そこは息詰まる撮影だった」って大根仁監督も言っていたけど、同時に早さのことも言っていた。「どうしてもスピードで、それができない」って。

キャラが人気の時代だけど、キャラ以上にマンガ家の作画には価値がある。でも、うまく使われていない。『浦沢直樹の漫勉』みたいな見せ方があるけど、コマーシャルにも切り離して使えることだと思うな。

工程を見せればもっと面白くなる

バラエティー番組でも、商品の製造工程を見せるものがこの5年くらいで増えたでしょう。例えば不二家の「ミルキー」だったら、シロップがアメにのばされてカットされて個包装されるまでの工場のラインを見せる。
そうすると感動するんだわ。だって、われわれは「ミルキー」をよく知っているから。アウトプットの最後だけしか見てなかったものが、急に工程が公開される。本当にあのかたちになったみたいにタレントも感心するし、テレビコンテンツとしてそういうのが増えてるってのは、面白いからだよね。
『漫勉』的なことが、どうカジュアルに面白く見せられるかみたいなことは、出版社や企業、代理店がもっと考えていいところだと思う。あんまりやっていくと、飽きられてくかもしれないけど。
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話を聞いた人
ブルボン小林(ぶるぼん こばやし)

1972年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。2000年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。現在は朝日新聞夕刊(関東、九州、北海道)、週刊文春、女性自身などで連載。小学館漫画賞選考委員。著書に『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(ちくま文庫)、『増補版ぐっとくる題名』(中公文庫)、『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)、『マンガホニャララ』(文春文庫)など。

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