「光ネットワーク」
「4K」はどこへ行く?
"通信と放送を融合させた男"が、これからのブロードバンドを語る
NTTぷらら・板東浩二社長。1998年にNTTグループ内のお荷物だった債務超過企業を畳むべく社長に任命されると、その後、辣腕を振るいインターネットプロバイダーを軌道に乗せて黒字化。2000年代初頭には「インターネット動画配信の時代が来る」と考え、2004年に「ひかりTV」の前身となる映像配信サービスを開始、いちサラリーマンから、NTTという巨大グループの中でベンチャー的に会社を立ち上げ、プロバイダー、映像配信サービスあわせ約600万人の会員を持つ800億円超企業のトップになった人物だ。NTTグループ内で「新しいことを始める達人」と称される板東氏に、未来の通信サービス、映像配信サービスについて聞いた。
ITビジネスは、時に応じ
「伸びる分野」でやる!
夏目:板東社長、就職活動の時から苦労されたそうですね......。
板東:オイルショックの時代に徳島大学を卒業したんですが、この時、たまたま電電公社(NTTの前身)が四国地方で1人だけ採用するというので、ダメもとで受けたんです。そしたら、志望者が殺到した中、なぜか私が通ったんです。
夏目:NTTでは、電話交換機の設計・導入、ネットワークのデジタル化に携わった後、マルチメディアビジネス開発部に異動され、1995年に誕生した「ジーアールホームネット」(現在のNTTぷらら)を、債務超過の状態で任されましたね。
板東:まだ楽天もアマゾンジャパンもない時代に、eコマースを普及すべく設立された会社で、設立3年後の1998年、私が行った時には37億円に近い損失が出ていました。売り上げは伸びず、毎月1億円以上の赤字を出し、親会社に「1ヵ月で事業を精算せよ」と言われる状況でした。
夏目:時代を先取りしすぎたんですね。ここからどう黒字化させたんですか?
板東:本社に「いきなり会社を潰したくはない」「資金が続く約半年間は続けさせてほしい」と頼み込み、企業を建て直すときの定石通り、まず出血を止めました。具体的には、さまざまな広告や、将来のために続けていた雑誌出版、ならびにオプション系サービス等、大きな赤字を垂れ流していたサービスを廃止していったのです。すると、ひとつだけ黒字の見込めそうな事業が残りました。それがプロバイダー事業だったんですね。
夏目:「ぷらら」と言うとプロバイダーの印象がありますが、これは「たまたまそこが残った」んですね。
板東:ええ。ビジネス環境は刻々と変わっていきます。だから「伸びる分野」でビジネスを行うことが大事なんです。企業の歴史を調べると、どんな事業だって「伸びて、衰退する」の繰り返しなんですよ。当時はちょうどダイヤルアップ接続のユーザーが勢いよく増えていたのでプロバイダー事業に注力することにしました。
夏目:ラクではなかったんですよね......?
板東:もちろんです。既に競合がブランドを確立しており、我々は知名度も資金力もない。そんな中、何か業界の中でNo.1になれるものはないか必死に考えてきました。そして思いついたのが「ユーザー満足度でNo.1になる」ということでした。サービスの中身とサポートを充実させ、ユーザーインターフェイスを向上させていったんです。すると、ある雑誌のユーザー満足度調査で高い評価をいただき、会員数が増えていきました。
夏目:プロバイダーのぷららは、会員数300万人を数えるまでに成長しましたね。
板東:ただし今も、環境は変化し続けています。例えば現在は、動画を含め様々なサービスの利用が一気に拡大し、プロバイダーのネットワーク通信量は毎年40~50%増となっています。プロバイダーは固定料金でサービスを提供していますので、その負担は増える一方です。しかしいきなり料金を上げるわけにもいきません。今後、IoT(インターネット・オブ・シングス)が普及するとさらに通信量が増える可能性があります。こういった変化に対応していくのは本当に難しいことだと思います。
物事は、少しさかのぼって
歴史的経緯から考えるとわかりやすい
夏目:プロバイダー事業の次に、映像事業を始められたのはなぜだったんですか?
板東:「伸びる分野」は次々変わっていきます。2000年頃、プロバイダー事業は絶好調でしたが、この伸びは近い将来、頭打ちになると考えていました。そこで事業環境が良いうちに、次の「伸びる分野」は何かと考えていたんです。
夏目:起業家の多くが、そこを見抜けないなか、板東社長はなぜ2000年代前半に「次は映像だ」と考えられたんでしょう? そもそも「動画元年」と言われ始めたのは2014~15年だったはずです。
板東:物事は、少しさかのぼって歴史的経緯から考えるとわかりやすくなります。インターネットが普及する前、音声メディア、データメディア、映像メディアはそれぞれ別のネットワークを使って送信されていました。音声は電話網、映像は地上波やケーブルテレビ、と。しかし、技術は進化し続けます。今、目の前にある技術の多くは「過渡期」に過ぎないのです。具体的には、1995年からインターネットが普及し始め、最初はダイヤルアップ、次にADSLと広帯域化してきました。なおかつ、NTTは東西を中心に、光のインフラを構築しようと多額の投資を続けました。このような状況から、2000年頃の段階でも「将来は光回線を通して、音声、映像、データ、すべてを送信する時代が来るのでは?」と想像でき、なかでも映像は大きな市場を持つ、とわかるはずです。現時点でも、ブロードバンドのインフラを活用できた企業が生き残っていく、という環境は同じだと思いますよ。
夏目:現在を「過渡期」と考える視野の広さが発想の源にあるんですね。
板東:ええ。同じ発想でIP電話の事業を始めようとしたら、周辺から大反対を喰らいました。「既存の電話をなくす気か!」と(苦笑)。それでも「失敗を怖がらずやってみよう!」と勇気を持って真っ先に始める、それが新しい未来を創るうえで大切なことなんだと思います。逆に、周囲の全員から賛同してもらえる事業は、今までの延長線上にあるものに過ぎないのかな、とも思いますね。
苦心惨憺、仕組みを創ると
「もう競争相手はいなかった」
夏目:ITの分野で「ひかりTV」のような事業を新しく始める際に、とくに苦労したことはどんなことですか?
板東:まず、なかなか賛同されません。我々も周囲からは「プロバイダーとして利益が出ているのに何で新しいビジネスを始めるのか」と散々言われました(笑)。しかも、前例がないから問題だらけです。例えば、過去の映画やテレビ番組を配信・放送するにはさまざまな権利や決め事があります。我々は「インターネットの技術を使って配信するため、同条件が適用できないのでは?」と言われたこともあります。誰もやったことがないから、位置づけが曖昧だったのです。「権利処理が曖昧なので慎重に対応したい」というコンテンツプロバイダーさんもいらっしゃいました。
また、権利問題だけでなく、コンテンツの調達も大変でした。最初は代理店を経由して調達したのですが、価格が高く、将来を考えると自社調達が望まれる状況でした。しかし、それまで我々はハリウッドと取引したことはありません。そこでNTTグループからネイティブに英語が話せる社員に出向してもらい、同時にハリウッドとパイプがある人を雇用し、「ハリウッドのキーパーソンは誰?」「契約書の内容はこれでいい?」というようなことをいちから始めたんです。
夏目:まさに手探りですね......。
板東:当社はシステムやネットワークも自社で構築しています。当時の売り上げが約300億円だった中、サービスを開始するにあたり100億円以上の投資が必要でした。グループ内からは、「人員を大量に投入してシステムを作ってもいい」というありがたい申し出もありましたが、あえて自社でシステムを構築することにこだわったんです。
夏目:渡りに船じゃなかったんですか?
板東:新規事業の成功モデルは誰にもわかりません。様々なことを走りながら考え、作り、変更することが求められます。これを他社に依頼すると、柔軟かつスピード感をもった変更が難しい場合があるのです。これでは、事業の勢いが削がれてしまいます。
夏目:確かに、見積をとって、決済をもらって......とやっていたら時間がかかりますね。
板東:ええ。しかしこうして始めた事業だけに、コンペティターはいませんでした。今振り返ると、システム構築やコンテンツ調達に苦労したことより、気付いたら独走していた印象の方が強く記憶に残っています。
夏目:NTTには「インフラの企業」というイメージがあります。失敗しながら新しいものを作っていくより、確実に必要とされる何かを計画通りに作っていくほうが得意そうなイメージがあります。そんななか、なぜ板東さんのような新規事業創出のエキスパートが誕生したのでしょうか?
板東:失うものがなかったんじゃないですか(笑)。僕は常に、NTTグループの中で自分のミッションは何かと考えています。それは、新しい事業領域を開拓することです。言い方を変えれば、いつも周囲から見たらどうなるかわからない事業を始め、毎年、売り上げを伸ばし続けなきゃいけないから、面白そうに見えてすごく大変なんですけどね――(苦笑)。
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