2018.04.24

マンガ表現における『AKIRA』の衝撃│ブルボン小林さんが語る男性マンガの隆盛と変遷 ポイント②

ポイント②マンガ表現における『AKIRA』の衝撃
青年マンガでも張り合いは続く

79年?80年代に、「ヤングマガジン」「ヤングジャンプ」「モーニング」「スピリッツ」など、いまも続く主要な週刊青年マンガ誌が創刊された。

青年マンガ誌でも張り合う文化は続いていてイケイケドンドンで、「向こうがこうなら、こっちはこうだ」みたいなことが、雑誌同士としても、雑誌の中でも両方で激しく行われていた。

例えば『ハロー張りネズミ』を読んでいるとすごく分かるのが、他のマンガに負けまいとして、話をどんどん過激にしていっている。

最初は人情もので始まるんですよ。松田優作にはなれない、二枚目半の探偵が事件の人間ドラマを見せてるんだけども、どんどん「ロシアのマフィアが......」と大風呂敷が広がって、果ては宇宙人と交信まで始める。

それは弘兼先生自身の興味ももちろんあっただろうけれども、小さくまとまらせないようなパワーが雑誌自体というか、他の連載にもあった。


『ヤングマガジン』創刊号

80年代の「ヤングマガジン」の充実

イケイケドンドンだった80年代の青年マンガで印象が強いのは「ヤングマガジン」。
オタクに受けた『3×3 EYES』やヤンキーマンガの『ビー・バップ・ハイスクール』もあれば、超クオリティーの高い『AKIRA』も載っていて、『ハロー張りネズミ』のような青年誌的なものもある。さらには『ぎゅわんぶらあ自己中心派』のような麻雀マンガまで載っていた。

僕は単行本で読んでいて、そんなに当時、雑誌の「ヤングマガジン」をめくってなかった。だから、いま思うに、なのだけど、こんなにヒット作を一度に載せてたのかと。90年頃は「スピリッツ」が牽引していた印象があるが、どこかの雑誌が良ければ他も負けじと刷新するようなかたちで、パイを広げながら青年マンガも定着していった。

ブルボン小林さんの80年代「ヤングマガジン」注目作品

マンガに対する評価は『AKIRA』で変わった

一方、ビジネス的な規模の大きさや熱気と別に、マンガはまだまだ社会の中では認知されていなかった。「マンガばかり読んで」みたいに一段低いものとして見られるというコンプレックスが、マンガ業界の人にはあった。手塚治虫がPTAに有害図書とされて校庭で自分の著作を燃やされたっていうことをマンガ内でも嘆いているけど、なかなか自分の表現を燃やされないですよね。

その風潮が変わってきたのもこの頃。批評家も含めて、何かマンガのことを語る際に、「たかがマンガとは言わせない」という表現をよく見かけるようになった。「文学を超えた」とかね。

その「たかがマンガとは言わせない」っていう言い方が出てきたのは、特に大友克洋の『AKIRA』からですよ。何というクオリティーの高い絵で、何という深淵なテーマを取り上げているんだと。


ブルボン小林さん
1972年生まれ。「なるべく取材せず、洞察を頼りに」がモットーのコラムニスト。2000年「めるまがWebつくろー」の「ブルボン小林の末端通信」でデビュー。現在は朝日新聞夕刊(関東、九州、北海道)、週刊文春、女性自身などで連載。小学館漫画賞選考委員。著書に『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』(ちくま文庫)、『増補版ぐっとくる題名』(中公文庫)、『ゲームホニャララ』(エンターブレイン)、『マンガホニャララ』(文春文庫)など。

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